川内村のカエルたちに未来はあるか ― 2011/09/01 16:08
これは変態直後のモリアオガエル。まだ尻尾が残っているが、まるまると太って緑色の発色もよい。変態後に池や沼の周りの草木に登って、しばらくじっとしているが、そのうち森へと入っていく。
……これが正常。この写真は2008年8月に我が家の池のそばで撮ったもの。
で、今年はどうかというと……
これが今年2011年8月にかろうじて変態した直後のモリアオガエル。これは、下川内という川内村の浜側の地域、20km警戒区域ぎりぎりの水田脇樹上に産みつけられていた卵を、そのままだと真下に水がなかったので救出して、うちで孵化させてからオタマを池に放しておいたもの。
2008年のモリアオも同様に「救出卵」から孵化したオタマが我が家の池で育ったもの。条件は同じはずだが、変態直後の姿があまりにも違いすぎる。
今年生まれたカエルは、モリアオガエルだけでなく、アカガエルもアズマヒキガエルも全部小さかった。あまりに小さいと、変態後に死んでしまう。肉付きも悪い。
天候不順のシーズンでは、オタマが成長しきらずに小さなカエルとして変態することはあるが、今年の場合、7月以降、気温も上がっていたし、成長しきらない要因はあまり見あたらない。
考えられるのは、産卵~細胞分裂時期に浴びた放射線。モリアオガエルの卵を採取した下川内の田圃脇はかなり線量が高かった。空間線量で1μSv/h前後はあった。産卵時期にはもっと高かったはず。
これが原因で小さいまま変態したのではないか……と、どうしても疑ってしまう。
ちなみに、今年は平伏沼(モリアオガエルの繁殖地として国の特別天然記念物指定を受けている)のモリアオガエルの卵は全滅した。半分くらいの卵が孵化まではいったと思うが、落ちた場所に水がなかったのでオタマはそのまま干からびて全滅。
平伏沼が渇水したのは放射能とは関係がない。
6月半ばくらいまではかろうじて水はあった。7月に入ってからすっかり水が抜け、以後、かなりまとまった雨が降った直後も水はまったく溜まらない状態になっている。
明らかに、沼周辺の山全体の保水力が低下しているのだ。
以前、沼の周囲の林を違法伐採した事件があり、その直後にも一度水が干上がった。
その後、植林したりして、ようやく水が回復してきて、毎年無事に産卵ができていた矢先に今年の完全涸渇。
保水力の低下はなぜ起きたのかといえば、滝根小白井ウィンドファームに伴う林道工事などで万太郎山の稜線から木が消えたことと、ウィンドファームへの取り付け道路が水路のようになって、雨が山に染みこまずに一気に下に流れ落ちるようになったことがいちばん大きいと思う。
しかもその取り付け道路が6月から舗装工事を始めている。雨が降っても、この道路を水が一気に流れ落ちていく。おかげで泥水が夏井川に流れ込み、イワナやヤマメが産卵できなくなった。夏井川漁協はユーラスエナジー(滝根小白井ウィンドファーム事業主)に補償を求めていたが、入漁券をまとめ買いしてもらうことでごまかされてしまったらしい。
小白井川の脇を通る県道36号線が大規模工事をして、小白井川の川岸がコンクリートで固められ、川筋もまっすぐに変えられてしまったことも一因かもしれない。また、、周辺の田圃に水が入らなくなり、広範囲にわたって土地が乾燥したことなど、いろいろな要因が考えられる。
しかし、どの要素がどの程度関係しているかは分からない。
平伏沼は来年以降も水が入らないままなのではないか。山の保水力低下は簡単には元に戻らないだろうから。
言えることは、自然環境、特に山の保水力や地下水系は簡単に激変するということに対してあまりにも鈍感だということ。無謀で無神経な工事が多すぎる。金が入ってくればいい。道路がきれいになるのだから歓迎だという姿勢。工事をやるにしても、環境負荷を少しでも減らす方法を考えるべきだが、そういう発想はまったくないようだ。
今後はいろいろな理由をつけた大規模公共工事、特に除染を理由にした森林伐採や放射性物質を含んだ土や瓦礫などを埋めるゴミ処分場工事、巨大風車やソーラー発電施設ラッシュが起きて、緑地減少が一気に進むだろう。福島は放射能汚染の後は急速に自然を失い、日本のゴミ捨て場のようになるだろう。
それを阻止しようという気概も気力も体力も知恵も、福島には残っていないかのようだ。
今年の川内村には、いつもの年にはあたりまえに、いちばん多く見られるアカガエルの姿がない。
シュレーゲルアオガエルやアマガエルも田圃に水が入らなかったために激減し、ほとんど姿が見られない。もともと数が少なく、むしろ、今までは目立たなかったツチガエルやトウキョウダルマガエルといった希少種が、汚れた用水池に集まっていたりして、相対的に目立つようになった。
東北に棲息する日本固有のカエル10種(アズマヒキガエル、ニホンアマガエル、ヤマアカガエル、ニホンアカガエル、タゴガエル、ツチガエル、トウキョウダルマガエル、モリアオガエル、シュレーゲルアオガエル、カジカガエル)のすべてが棲息している川内村。我が家の周囲数百メートル圏内でこのすべてが確認できている(カジカガエルは声だけを確認。他はすべて写真に収めた)が、今年はすっかり様相が変わってしまった。
「かえるかわうち」のスローガンが虚しい。
カエルが棲めなくなる村には人間も住めなくなるだろう。干上がった平伏沼は、今の川内村を象徴している。
報道されない「被災者格差」問題 ― 2011/09/01 18:18
ここにきて、避難所にボランティアで入っていた人たちからいろいろな話が伝わってくる。
双葉町の避難所となったリステル猪苗代(豪華リゾートホテル)では、「被災者」が、猪苗代町の地元の人たち中心のボランティアが炊き出しで出した食事に対して、
「こんなまずい飯が食えるか」
と文句を言って、不要な軋轢を生んだという。
同じ双葉町住民の避難所となった旧騎西高校にボランティアで入っていた人たちは、避難してきた人たちが、
「自分たちは、一生、国と東電が面倒みてくれる」
「原発敷地内の草取りは時給2,000円だった。今さら時給800円でなんて働けるか」
といった会話をしているのを聞いてショックを受けたという。
無論、こんな人たちは例外で、ほとんどの人たちが苦労していることは分かっている。しかし、こうした発言は人伝えでどんどん広がっていく。
彼らは自分たちの言葉がどれだけ周囲の人たちに衝撃を与えているか理解していない。その意識のズレに気づいていないことが、まさに「原発依存体質」の証明なのだ。
ビッグパレットは福島県内最大の集団避難所になっていたが、8月31日で閉所になった。
テレビのインタビューに「寂しくなるねえ」と答えていた人たちは、それが視聴者にとってどれだけ違和感のある言葉なのかに気づいていない。
避難所周辺のパチンコ店は連日大盛況。駐車場にはぴかぴかの新車が何台も見うけられた。義援金や東電からの仮払金で新車に買い換えたという人が少なくなかったという。
避難所内ではものが溢れていて、食器や寝具、衣類なども大量に配られた。それらを何度も受け取って、自分の車に積んで村の家に運び込んでいる人も多かった。
村に残っている人たちは、ものを満載した車で時折戻ってくる隣人に、「避難所は天国だよ。なんにもしなくても毎日飯が食えるんだから。今からでもおいでよ」と言われたと、情けなさそうに語っていた。
川内村では、「緊急時避難準備区域」解除になった後も村が出した「自主避難指示」をそのまま有効だとして続けるのだそうだ。
「帰っても安全だという担保が取れないうちは戻れない」と言うが、村の子供たちは川内小学校より放射線量の高い郡山市の小学校に間借りしている。
川内村の中心部の放射線量が高くて危険だというなら、福島県内に住める場所はほとんど残っていない。少なくとも中通りにはない。
ところで、「義援金」は国や県を通じて各自治体に渡っているが、そこから先、被災者にどう分配するかは自治体が決めている。
●双葉町の場合
【一次配分】:原発避難指示世帯に対して一律40万円(国:35万円、県:5万円)
【二次配分】:3月11日時点で双葉町に住民登録があった人、および住民登録はないが町内に生活の実態があった人に対して世帯員一人あたり25万円(国:21万2000円、県:3万8000円)
●川内村の場合
【村に直接届いた義援金の分配】
3月11日現在、川内村住民基本台帳に登録していた人一人あたり5万円
【国・県からの義援金 一次配分】
3月11日現在、東京電力福島第一原子力発電所から30kmの圏内に居住していた世帯(全域該当だが、別荘や空家などは対象外)に対して一世帯40万円(国義援金・35万円、県義援金・5万円)
【国・県からの義援金 二次配分】
川内村住民基本台帳および外国人登録名簿に登録されていた人、1人あたり28万円。
川内村住民基本台帳登録のない場合で、3月11日現在居住していて第1次配分金の該当になった世帯は1世帯として28万円。
これに加えて、東電からの仮払い補償金が、一次で100万円(一世帯あたり)、二次で一人最高30万円支払われる。
……つまり、家が壊れていなくても、家族が全員生きていても、例えば5人家族なら
双葉町で415万円(義援金一次:40万円、二次:25万円×5人で125万円。合計165万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で250万円。全部で415万円)
川内村で455万円(義援金一次:40万円、二次:28万円×5人で140万円、村から5万円×5人で25万円、合計205万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で合計250万円。全部で455万円)
が渡っている。
双葉町では1人あたり83万円、川内村では1人あたり91万円という計算になる。
これに対して、自殺者が出た相馬市玉野地区(30km圏外で東電からの仮払金なし)ではどうなのか。
●相馬市の場合
【一次配分】
国義援金
死亡義援金: 死亡者、行方不明者ともに、一人あたり35万円
見舞金: 全壊・全焼=35万円/世帯、半壊・半焼=18万円/世帯
県義援金
見舞金として一世帯あたり一律5万円
日本財団からの弔慰金・見舞金
死亡者、行方不明者ともに一人あたり5万円
【二次配分】
死亡・行方不明・全壊: 国56万円、県10万円(行方不明者は必要な調査完了後に振込み)
半壊: 33万円(国28万円、県5万円)
……ということで、相馬市では死者や家屋の全半壊がない世帯へ渡ったのは、県義援金の見舞金一世帯あたり5万円しかない。5人家族なら一人あたり1万円だ。
相馬市玉野地区は飯舘村や福島市の霊山に隣接しており、線量は川内村中心部などよりずっと高い。
この汚染のひどかった飯舘村で酪農をしていて、住所は相馬市にあった人が自殺したことはニュースになったが、彼は妻と子供がフィリピンに逃れ、一人、自宅に戻ってきた後は、原乳出荷停止になり、毎日、搾った牛乳を捨てていた。この世帯には東電の仮払金も支払われていないから、5万円だけなのだ。
豪華リゾートホテルに避難して「飯がまずい」と文句を言っていた家族には数百万円が渡る一方で、避難先もなく、汚染された土地に残って毎日牛乳を捨てていた酪農家一家のように、30km圏外で無指定地域に住んでいた家族は、どれだけ汚染がひどくても、仕事や生活基盤を奪われて金が出ていく一方だとしても、現時点では5万円しか受け取れていない。これから農業や漁業などの被害に対する補償交渉を進めていくとしても、その前にみんな疲弊しきってつぶされてしまう。
さらに言えば、東電の二次仮払金は、家に戻ってきた時期が遅かった人には30万円支払うが、早く戻ってきた人には10万円しか支払わないとされている。
4月10日までに家に戻った人は10万円
5月10日までに家に戻った人は20万円
6月10日までに家に戻った人、まだ帰れない人には30万円
早く帰ってきた人というのは、老齢の親を抱えていたり、家畜の世話をしなければいけなかったり、消防などの公益業務に従事していた人たちが中心で、この人たちは誰もいなくなった村で自力で(自腹を切って)頑張ってきた人たちだ。
そういう人たちには少なく、避難所で毎日衣食住を世話してもらっていた人たちには多く払うというのだ。
逆ではないか。
実質、家に戻ってきていた人たちでも、仮設住宅やリゾート型避難所に申し込んで、ときどきそこに戻って無料の食事にあずかっていたり、市内のアパートを借りて「みなし仮設」(福島県の場合、月額最高8万円まで支給)に認定してもらい、別荘や事務所代わりに利用している人がたくさんいる。こうした人たちもみな「まだ家に戻っていません」ということで申請している。
そもそも、この期間、家に戻っても戻らなくても、みな本来の仕事や生活以外のことで追われて大変な日々を過ごしている。
現在、村で唯一開いている店と言ってもよいコンビニの経営者一家は、仕入れのトラックが入ってこなかった時期、郡山市内の市場で仕入れたわずかな商品を店に並べて、村に残っている人たちのために頑張った。
若旦那は、避難先の埼玉県から川内村まで今も通っている。
もちろん、動けば動くほど大赤字だが、村の中心で店を開いているという責任感からの行動だ。
他にも、自分は家に戻って仕事を続けていても、子供たちを県外の線量の低い場所に避難させるために毎日遠方まででかけて受け入れ先探しや手続きに追われたり、移転先を探し回ったり、仕事探しに明け暮れたり……。
みなそれぞれに大変な目にあっている。
こんな時期に「いつ家に戻れたか」と訊いていること自体がバカげている。誰一人、まともな状態では戻れていないのだから。
現場を知らない役人や企業人たちが机の上でもっともらしく線引きしたり基準を決めたりしている図には辟易する。
いちいち腹を立てていてもきりがないので、自力で動ける範囲内で自分の生活を、人生を守っていくしかない。
それが今のフクシマの姿だ。
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双葉町の避難所となったリステル猪苗代(豪華リゾートホテル)では、「被災者」が、猪苗代町の地元の人たち中心のボランティアが炊き出しで出した食事に対して、
「こんなまずい飯が食えるか」
と文句を言って、不要な軋轢を生んだという。
同じ双葉町住民の避難所となった旧騎西高校にボランティアで入っていた人たちは、避難してきた人たちが、
「自分たちは、一生、国と東電が面倒みてくれる」
「原発敷地内の草取りは時給2,000円だった。今さら時給800円でなんて働けるか」
といった会話をしているのを聞いてショックを受けたという。
無論、こんな人たちは例外で、ほとんどの人たちが苦労していることは分かっている。しかし、こうした発言は人伝えでどんどん広がっていく。
彼らは自分たちの言葉がどれだけ周囲の人たちに衝撃を与えているか理解していない。その意識のズレに気づいていないことが、まさに「原発依存体質」の証明なのだ。
ビッグパレットは福島県内最大の集団避難所になっていたが、8月31日で閉所になった。
テレビのインタビューに「寂しくなるねえ」と答えていた人たちは、それが視聴者にとってどれだけ違和感のある言葉なのかに気づいていない。
避難所周辺のパチンコ店は連日大盛況。駐車場にはぴかぴかの新車が何台も見うけられた。義援金や東電からの仮払金で新車に買い換えたという人が少なくなかったという。
避難所内ではものが溢れていて、食器や寝具、衣類なども大量に配られた。それらを何度も受け取って、自分の車に積んで村の家に運び込んでいる人も多かった。
村に残っている人たちは、ものを満載した車で時折戻ってくる隣人に、「避難所は天国だよ。なんにもしなくても毎日飯が食えるんだから。今からでもおいでよ」と言われたと、情けなさそうに語っていた。
川内村では、「緊急時避難準備区域」解除になった後も村が出した「自主避難指示」をそのまま有効だとして続けるのだそうだ。
「帰っても安全だという担保が取れないうちは戻れない」と言うが、村の子供たちは川内小学校より放射線量の高い郡山市の小学校に間借りしている。
川内村の中心部の放射線量が高くて危険だというなら、福島県内に住める場所はほとんど残っていない。少なくとも中通りにはない。
ところで、「義援金」は国や県を通じて各自治体に渡っているが、そこから先、被災者にどう分配するかは自治体が決めている。
●双葉町の場合
【一次配分】:原発避難指示世帯に対して一律40万円(国:35万円、県:5万円)
【二次配分】:3月11日時点で双葉町に住民登録があった人、および住民登録はないが町内に生活の実態があった人に対して世帯員一人あたり25万円(国:21万2000円、県:3万8000円)
●川内村の場合
【村に直接届いた義援金の分配】
3月11日現在、川内村住民基本台帳に登録していた人一人あたり5万円
【国・県からの義援金 一次配分】
3月11日現在、東京電力福島第一原子力発電所から30kmの圏内に居住していた世帯(全域該当だが、別荘や空家などは対象外)に対して一世帯40万円(国義援金・35万円、県義援金・5万円)
【国・県からの義援金 二次配分】
川内村住民基本台帳および外国人登録名簿に登録されていた人、1人あたり28万円。
川内村住民基本台帳登録のない場合で、3月11日現在居住していて第1次配分金の該当になった世帯は1世帯として28万円。
これに加えて、東電からの仮払い補償金が、一次で100万円(一世帯あたり)、二次で一人最高30万円支払われる。
……つまり、家が壊れていなくても、家族が全員生きていても、例えば5人家族なら
双葉町で415万円(義援金一次:40万円、二次:25万円×5人で125万円。合計165万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で250万円。全部で415万円)
川内村で455万円(義援金一次:40万円、二次:28万円×5人で140万円、村から5万円×5人で25万円、合計205万円。東電から一次:100万円、二次30万円×5人で合計250万円。全部で455万円)
が渡っている。
双葉町では1人あたり83万円、川内村では1人あたり91万円という計算になる。
これに対して、自殺者が出た相馬市玉野地区(30km圏外で東電からの仮払金なし)ではどうなのか。
●相馬市の場合
【一次配分】
国義援金
死亡義援金: 死亡者、行方不明者ともに、一人あたり35万円
見舞金: 全壊・全焼=35万円/世帯、半壊・半焼=18万円/世帯
県義援金
見舞金として一世帯あたり一律5万円
日本財団からの弔慰金・見舞金
死亡者、行方不明者ともに一人あたり5万円
【二次配分】
死亡・行方不明・全壊: 国56万円、県10万円(行方不明者は必要な調査完了後に振込み)
半壊: 33万円(国28万円、県5万円)
……ということで、相馬市では死者や家屋の全半壊がない世帯へ渡ったのは、県義援金の見舞金一世帯あたり5万円しかない。5人家族なら一人あたり1万円だ。
相馬市玉野地区は飯舘村や福島市の霊山に隣接しており、線量は川内村中心部などよりずっと高い。
この汚染のひどかった飯舘村で酪農をしていて、住所は相馬市にあった人が自殺したことはニュースになったが、彼は妻と子供がフィリピンに逃れ、一人、自宅に戻ってきた後は、原乳出荷停止になり、毎日、搾った牛乳を捨てていた。この世帯には東電の仮払金も支払われていないから、5万円だけなのだ。
豪華リゾートホテルに避難して「飯がまずい」と文句を言っていた家族には数百万円が渡る一方で、避難先もなく、汚染された土地に残って毎日牛乳を捨てていた酪農家一家のように、30km圏外で無指定地域に住んでいた家族は、どれだけ汚染がひどくても、仕事や生活基盤を奪われて金が出ていく一方だとしても、現時点では5万円しか受け取れていない。これから農業や漁業などの被害に対する補償交渉を進めていくとしても、その前にみんな疲弊しきってつぶされてしまう。
さらに言えば、東電の二次仮払金は、家に戻ってきた時期が遅かった人には30万円支払うが、早く戻ってきた人には10万円しか支払わないとされている。
4月10日までに家に戻った人は10万円
5月10日までに家に戻った人は20万円
6月10日までに家に戻った人、まだ帰れない人には30万円
早く帰ってきた人というのは、老齢の親を抱えていたり、家畜の世話をしなければいけなかったり、消防などの公益業務に従事していた人たちが中心で、この人たちは誰もいなくなった村で自力で(自腹を切って)頑張ってきた人たちだ。
そういう人たちには少なく、避難所で毎日衣食住を世話してもらっていた人たちには多く払うというのだ。
逆ではないか。
実質、家に戻ってきていた人たちでも、仮設住宅やリゾート型避難所に申し込んで、ときどきそこに戻って無料の食事にあずかっていたり、市内のアパートを借りて「みなし仮設」(福島県の場合、月額最高8万円まで支給)に認定してもらい、別荘や事務所代わりに利用している人がたくさんいる。こうした人たちもみな「まだ家に戻っていません」ということで申請している。
そもそも、この期間、家に戻っても戻らなくても、みな本来の仕事や生活以外のことで追われて大変な日々を過ごしている。
現在、村で唯一開いている店と言ってもよいコンビニの経営者一家は、仕入れのトラックが入ってこなかった時期、郡山市内の市場で仕入れたわずかな商品を店に並べて、村に残っている人たちのために頑張った。
若旦那は、避難先の埼玉県から川内村まで今も通っている。
もちろん、動けば動くほど大赤字だが、村の中心で店を開いているという責任感からの行動だ。
他にも、自分は家に戻って仕事を続けていても、子供たちを県外の線量の低い場所に避難させるために毎日遠方まででかけて受け入れ先探しや手続きに追われたり、移転先を探し回ったり、仕事探しに明け暮れたり……。
みなそれぞれに大変な目にあっている。
こんな時期に「いつ家に戻れたか」と訊いていること自体がバカげている。誰一人、まともな状態では戻れていないのだから。
現場を知らない役人や企業人たちが机の上でもっともらしく線引きしたり基準を決めたりしている図には辟易する。
いちいち腹を立てていてもきりがないので、自力で動ける範囲内で自分の生活を、人生を守っていくしかない。
それが今のフクシマの姿だ。
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