「森喜朗的なもの」を見つめ直す2021/02/12 22:41

#わきまえない女 というハッシュタグがSNSを賑わせた今回の「森喜朗事件」。その後も「後任の乱」だの「おじいちゃんたちの中二病」だの「男が多い会議が長引いて後任がなかなか決まらない」だのと、大喜利状態になっている。
今回はたまたま女性蔑視発言が引き金になったが、実際はそれも含めた「森喜朗的なもの」すべてにNOをつきつけているのだ。
今まで職場や家庭などで、この手の「分かってない上の連中」に辟易しながらも、諦めたり我慢したりしてきた鬱憤が、ここに来て一気に吹き出した、という図だろう。
しかし、忘れてはいけない。これは町内会や村のお祭りレベルの話ではなく、国の命運がかかっている話だということを。

3万円の観覧料で見せられている無効試合

レッドカードもらった選手が勝手に選手交代を告げた。
⇒その選手が笛が鳴る前にボールを蹴り始めて再び試合中断。
⇒最後は1点も入れられないままオウンゴールだけで大敗かと思いきや、無効試合に。
……そういうしょーもないショーを我々は見せられている。
それもただではない。
東京五輪の総費用は昨年発表されたバージョン5で1兆6440億円だそうだ(もっと膨れあがるだろうが)。
で、日本の総世帯数は約5700万世帯。桁数の大きな計算は苦手なのだけれど、割ると1世帯およそ3万円くらいになる。日本国民は3万円という高い観覧料を払って、とんでもないアホ試合、猿芝居を見せられてるのだ。

先日の「東京五輪中止発表前に振り返る"天罰五輪"の不愉快な備忘録」でも書いたが、そもそも、東日本大震災直後に五輪の再誘致をぶち上げるという天をも恐れぬ狂気が今の国難を招いた。
東日本大震災が起きなくても、21世紀に入ってからのオリンピックは、もはや開催国にとって大きなリスク要因となることは分かりきっていた。それを理解できず、かつてのオリンピックのイメージや、麻痺しまくった金銭感覚で飛びつくという思考回路やセンスしか持ち合わせていない人たちが、国や大企業のトップに座り続け、好き放題やれる社会である、という現実。
それを理解できず、この後に及んで「余人を持って代えがたい」「これまでの功績の大きさを考えると……」などと言っているスポーツ評論家やら政治家やらも、「森喜朗的な国難」をガッチリと固めている。
……そういう大問題なのだ。

粛々と後始末ができる人は……

また、これはもう、辞任して当然だの、後任は誰が適任だのという簡単な問題でもない。
東京五輪ができないことはもはやはっきりしている。少なくとも、今までのような形ではできない。

近藤隆夫氏が山口香JOC理事にインタビューした記事を読んで、山口氏の見識の高さに感心させられた。
今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。 それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしい。
山口氏のこの発言はとても貴重だ。
つまり、中止するのかどうか、中止する場合はIOCのほうから言い出すのか東京都が返上するのかで日本国民が負担する金額が違うのではないか、という話。
これ以上無駄金を捨てるのはなんとしてでも避けたいという判断から、無観客でもなんでもいいから開催したことにして、NBCの放映権料だけは確保したいというのがIOCと日本政府、東京都の共通目標なのではないか、という推理。
メディアの報道だけ見ていても、こうした視点はなかなか得られない。だからますます国民は疑心暗鬼になる。

要するに、これから組織委員会の会長になる人というのは、中止にしても無観客開催(国内の感染者増の危険性を伴う)にしても、今まで惚け老人たちが散々食い散らかしてきた残飯処理をしなければならない。どうやったところで「よかったね」とは言われない。非難を浴び続けながらも、なんとか損害を少しでも減らせるようにという強い意志と献身的精神を持ち続けて仕事をしていかなければならない。悟りを開いた宗教者か聖人、しかも超人的な突破力を持ったタフな人物でなければ務まらないではないか。そんな人物がいるのか? いたとしても、今からそれを押しつけるのはあまりにも可哀想だ。
森喜朗とIOCバッハ会長の関係を「毒を持って毒を制す」などと評した「スポーツジャーナリスト」がいたが、森が毒の使い方が分からない人物だからここまでひどいことになってしまったわけで、今から毒を持ってバッハとやりあって日本の「損害額」を減らせるとも思えない。
山口氏はこうも述べている。
こんな状況だからこそ、アスリートたちには考えてもらいたいんです。自分にとって五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかを。もともとは好きで自分のためにスポーツをやってきたわけですよね。その頂点を目指すのであれば、世界選手権もあります。では、自分にとって五輪とは何なのか。五輪に出られる出られないではなく、もう少し深い部分まで考えて、答えを持ってほしいと思います。

これは、アスリート以外の我々にもいえることだ。
我々庶民は、オリンピックに何を望んでいたのか、何を求めていたのか。それが無理だと分かった今、東京五輪というお荷物(敢えていう)とどう向き合うべきなのか。

1964年の東京五輪でいちばん感動的だったのは閉会式である。
入場行進が始まった途端に、各国の選手が入り乱れ、踊りながら、抱き合いながら、全員が満面の笑顔で国立競技場になだれ込んできた。
これがオリンピックなんだ、と、誰もが感動した。
あの光景がまた見られるなら、冥土の土産にもなる。私の年代の人間の多くはそう思ったのではないだろうか。
しかし、その国立競技場は取り壊され、あの聖火台も消えてしまった。
代わりに作られた競技場の客席は、人がまばらでも気にならないようにと、椅子がわざとランダムに色づけされている。なんという皮肉!

日本の社会に根強くはびこる森喜朗的な空気と価値観。それがいかに大きな国難であるかを見つめずにここまで来てしまった我々は、3万円の授業料を払って学び取り、やり直すことができるのか? それが問われている。

東京五輪2020とはなんだったのか。
日本は、どこでどう間違えたのか。
その重い問いを最後に突きつけたことが、森喜朗が果たした仕事だったのだろうか。
でも、そういう役割なら、別にあの人じゃなくても「余人」はたくさんいるけれどね。


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ベルギーからワクチン第一便というニュースへの雑感2021/02/12 21:06

ワクチン第一便がベルギーから届いたと、テレビで生中継までする騒ぎになっている。
ベルギーのピュールスという小さな村に米国ファイザー社の工場があり、そこが欧州でのワクチン製造の拠点となっているそうだ。

ベルギーは人口1162万人の小さな国だが、コロナ死者は2万1000人を超えていて、人口に対する死者数は英国、米国、イタリアなどより多い。実質、世界一コロナ被害を受けている国。そこの小さな村で作られたワクチンが、人口あたり死者数がベルギーの1/30以下の日本に送られてくるんだなあと思うと、複雑な思いがある。(人口100万人あたりのコロナ死者数が1855人、日本は同・53人)。

その日本の100万人あたり53人の死者という割合は、同じアジアで見ると、韓国の29人、香港の25人、中国の3人、タイの1人、台湾の0.4人などに比べてはるかに多い。

ちなみに、今、全豪テニスが行われているオーストラリアは、感染者総数28,887人に対して死者909人(3.2%)。日本は感染者数41万人に対して死者6,678人(1.6%)。人種的な要素としてオーストラリアのほうが死亡率が高いと思える中で、感染者数を抑えているのは、防疫体制がしっかりしているからだろう。
オーストラリアの人口100万人あたりの検査数は526,641人、日本は58,994で、一桁違う。
(以上のデータはすべてworldometers.infoより)
こういうデータを見ても、日本がしっかり対策をしていれば、死者数を今の半分くらいにできていた可能性は高いと思う。



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新シリーズ「幸せビンボー術」連載中!2021/02/09 19:13

コロナ禍とポンコツ政治のせいでヘトヘトの毎日。真面目に生きている人ほど貧乏にますます拍車がかかりそうです。
嘆いていても、怒っていても、事態はよくなりません。こんな状況下でも、自力で生き抜くしかない……。
ビンボーでも、巣ごもり生活でも、なんとか幸せを感じられる生き方のための「具体的な」技術や知識を、私なりにまとめていく幸せビンボー術」というシリーズを別館(https://takuki.com/happy/)で始めました
25回目までできましたので、目次をご紹介します。takuki.comのWEBサイト内とは別に、同じものを note にもマガジンとして公開しています。お使いの端末画面で読みやすいほうを選んでください。
以下、クリックするとtakuki.comの該当ページに飛べます。

ジャンル別目次 (各項目をClick!)

序章:幸福は「相対的な価値」

地方移住の勧め

自前の移動手段を考える

デジタル道具の選び方

私が愛用しているPCソフト

ビンボーでも楽しめる、ウィズコロナ時代の趣味




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今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える2021/01/22 15:08

国立感染症研究所発表のデータより

今冬は、驚異的にインフルエンザ感染者が少ないという(国立感染症研究所発表のデータより)。
厚労省によれば、1月4日~10日における全国の定点医療機関からのインフルエンザ発生報告数は73人。去年の同時期は90,811人だったので、1000分の1以下ということになる。
これはほぼ間違いなく、今年はCOVID-19のせいで人々の交流が減り、手洗いやマスク着用を徹底しているからだろう。
SARS-CoV-2の感染力(人の体内に入り込む「能力」)は従来型インフルエンザウイルスよりはるかに強い、ということだ。
つまり、いつもの年のようにノホホンと過ごしていたら、コロナ患者の数はとんでもない数になっていた可能性がある。

今冬のインフル死者数、コロナ死者数の意味を考える

さらに考えてみよう。
この1月4日~1月10日の1週間は、SARS-CoV-2のPCR検査陽性者数が爆発的に増えた時期だった。全国累計で42,882人にのぼる(厚労省サイトのデータより計算)。
この間、陽性者で死亡した人の数は389人にのぼる。
この数字は例年のインフルエンザ発生数と死亡数に比較してどうなのだろうか。

厚生労働省が毎年発表している人口動態統計によると、2018年のインフルエンザによる死亡者数は3,325人だが、これはインフルエンザが直接的に死の原因となった人の数だ。
WHOは「インフルエンザにかかったことによって自分が罹患している慢性疾患が悪化して死亡する」ことも含めた死を「超過死亡概念」として提唱しているが、この超過死亡概念も含めると、日本におけるインフルエンザによる死亡者数は、毎年およそ1万人前後ではないかと厚労省は推計している。

1月20日時点で、COVID-19による日本国内での死者数累計(昨年の新型コロナ症例が初めて見使った時点からの累計)は4742人である。
これは、新型コロナウイルス感染によって、それまで抱えていた持病などが悪化したり、老衰の度合が進んで亡くなった人も含まれている(WHOが提唱している「超過死亡者数的な統計」)と考えられる。
とすると、今年はコロナ対策のおかげでインフルエンザによる死者は激減しているはずだから、従来型季節性インフルと新型コロナによる死者数を合わせても、去年よりも「ウイルス感染が直接、間接の原因」の死者数が少ない可能性もありそうな気がする。

誤解してほしくないのだが、私は「COVID-19は怖くない」などと言っているわけではない。逆だ。
これだけウイルス対策をしても、インフルは劇的に減らせてもSARS-CoV-2はしっかり人にうつっていく。
ということは、この冬、人々が今までのような生活スタイルであったら、感染者数も重症化~死者数も、1000倍とは言わないまでも、軽く100倍以上にはなっていたのではないか。
低く見積もっても累計死者数は5万人、多ければ5万~10万人くらいになっていてもおかしくない。つまり、何の対策もしない冬を迎えていたら、従来のインフルエンザによる死者数約1万人より一桁多い数のコロナ死者がそこに加算されていたかもしれない

新型コロナがやっかいなのは、無症状者がウイルスを拡散させるという、従来型インフルエンザウイルスにはない特徴を持っていることだ。
従来のインフルは、感染すると高熱が出て寝込んでしまうため、感染者が市中や職場に出てウイルスをばらまくことは少ない。周囲の人も、あ、この人はインフルにかかっている。うつされないように注意しよう、と意識できる。新型はそれが難しい。
さらには、無症状で済んでしまう人がいっぱいいる一方で、それまで元気だった人がサイトカインストームで急激に病状が悪化して、何も手を施せないまま死んでしまうという事例が一定数出ることも恐ろしい。これは心理的にかなりの恐怖としてまとわりつく。
年齢層によって重症化率が大きく違うというのも、世代間の分断を加速させる要因になるのでいやらしい。

社会構造や生活習慣の変化は避けられない

以上のことは、何も専門的な知識や高度な統計技術を持たなくても容易に理解できる。
この「分かっていること」を踏まえて今後のことを予想してみると、
  • COVID-19は簡単には収束・終息しない(それを見越して計画を立てることが必須)
  • ワクチンに関してはあまりにも未知の部分が多いので、今後の展開が予測できない(過剰な期待や希望的展望は危険)
  • 無症状感染者がウイルスを広げているが、無症状の人を片っ端から検査するのは非現実的だし、合理性も欠く
  • かといって感染防止対策をしなければあっという間に蔓延し、重症者や死者も増える(気は緩められない)
  • すでに医療現場の負荷は限界に達しており、コロナ以外の救急患者や要手術患者への医療が十分にできなくなっている(医療制度の見直しや医療現場の改革が必須。そのためには巨視的視野、合理的思考力、剛胆な実行力を持つリーダーが必要))
  • コロナが直接の死因にならずとも、経済破綻やストレスによる自殺などのコロナ関連死が急増する(正しい情報の共有が重要)
  • 人と人の接触が減ることで、娯楽を含めた文化全体のあり方が変わる(消えていくものを守ろうというだけでなく、新しい価値観や幸福感を捜す発想の転換が必要)
  • 世代間の断絶が進み、年長者が若者に経験を伝授していくことが難しくなる(教育や人との触れ合いの形を考えつつ、世代間ギャップを埋める努力を)
  • 都市の文化が荒廃し、人々の生活は郊外や地方に徐々に移っていく(都市型文化偏重をやめて、既存の住宅や設備の活用を)
  • 経済格差、教育格差が進む(オンライン講座などを活用した教育と人材育成)
  • 少子化はさらに進み、平均寿命も徐々にマイナス方向に転じる(経済規模全体はマイナス成長でも、個人の幸福は膨らむ社会作り)
……ざっと思いつくことだけでもこれだけある。
こういう社会変化はもはや避けられない
それを理解した上で、ではどうやって生き延びていくか、犠牲を減らして、幸福感を維持できるのかという具体的な方法を探り、新しい価値観を構築していかないといけない。
緊急事態宣言を出す出さないだの、飲食店の時短営業要請だのといったことだけ声高に議論していても、今後の道筋は見えてこない。このウイルスが人間社会に与えた影響の大きさや内容をもっと巨視的にとらえて、社会をどう作り直していくか、を考えないといけない。
しかし、今のところ、政治にそうした力がないのは明白だし、メディアにも道を示す力は期待できない。
自力で考え、工夫しながら、自分の周りの小さな地域社会を大切に、優しく、柔軟に育てていくことから始めるしかないのかな、と思う。


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東京五輪中止発表前に振り返る 「天罰五輪」の不愉快な備忘録2021/01/21 21:19

未だに中止決定発表がない東京五輪2020だが、もはや開催不可能なことは明白だ。こうしている間にも毎日無駄金が垂れ流されている。さっさと中止を発表し、国全体でしっかり反省を始めなければいけないのに、これでは敗戦を認められずに国民の被害を悲惨なものにしていった終戦前と同じだ。

なんでこんなことになってしまったのか?
WEB上には、大手メディアから個人ブログまで含めて、怒りともため息ともとれる「反省」的なまとめが散見される。
NHKのは書き方がゆるくて核心部分が伝わってこないし、Wikiは力作だけれど長すぎて読む気がしないという人もいるだろう。
不愉快なことではあるけれど、過去のネットでの記事を中心に、自分向けの備忘録を作っておこうと思う。

そもそもの責任は石原慎太郎にある

忘れている人も多いのではないかと思うが、そもそも東京にオリンピック誘致を決めたのは石原慎太郎都知事時代の2006年のことだ。
  • 2006年3月8日、東京都議会で2016年のオリンピック開催招致を決議。4月1日、都庁内に招致本部を設置。
  • 2007年には石原慎太郎直轄の都知事部局に「生活文化スポーツ局スポーツ振興部」を新設(初代部長:後に東京都スポーツ振興局長で2020招致委員会理事→東京臨海熱供給社長)。2007年9月11日、閣議で2016年夏季オリンピックを東京都に招致することを了承(Wikiより)。9月13日がIOCへの立候補受付締め切だったが、東京の他にシカゴ(アメリカ)、マドリード(スペイン)、プラハ(チェコ)、リオデジャネイロ(ブラジル)、ドーハ(カタール)、バクー(アゼルバイジャン)の計7都市が立候補した。
  • 2008年6月、IOC理事会での審査で、上記立候補7都市のうち、東京、マドリード、シカゴ、リオデジャネイロの4都市が残った。
  • 2009年10月、IOC総会で投票が行われ、1回目の投票で東京はマドリード(28票)、リオデジャネイロ(26票)、に次ぐ22票で3位。シカゴが落選。続く第2回投票で東京は最下位となり落選。3回目の決選投票でリオに決定した。


2009年12月4日、時事通信の記事より

このときの招致用パンフレットのPDFは、今もJOCのサイトに残っている

ここでやめておけば傷はまだ浅くて済んだのに、石原はすぐに次の2020年開催地への再立候補への執念を見せた。

2011年3月、東日本大震災が発生し、福島第一原発が爆発。全世界に放射能をばらまくという歴史的大事件が起きた。
その最中の3月14日、石原は蓮舫節電啓発担当相(当時)と会談した後に、報道陣に「この津波をうまく利用して(日本人の)我欲を1回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」などと語った。その直後の会見で記者団から「不謹慎ではないか」と指摘されても、「日本に対する天罰ですよ」「いやそれはやっぱり、これをどう受け止めるかという受け止め方の問題だ」と開き直り、発言の撤回を拒否した。
都庁に非難の電話などが殺到し、翌日には「言葉が足らずに被災者の皆様、国民、都民を深く傷つけたことをおわびし、発言を撤回する」と述べたが、この「天罰発言」はしばらくは人々の頭に残った。
石原都知事、「天罰」発言を撤回し謝罪
東京都の石原慎太郎知事は15日に記者会見し、東日本巨大地震に関して「津波をうまく利用して(日本人の)我欲を一回洗い落とす必要がある。これはやっぱり天罰だと思う」と述べた14日の発言について、「言葉が足らずに被災者の皆様、国民、都民を深く傷つけたことをおわびし、発言を撤回する」と述べた。「かつてない困難にある被災者の失意、無念は拝察するにあまりある」とも語った。(日本経済新聞 2011年3月15日

この有名な「石原天罰発言」を正確に再録すると、
「アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等。日本はそんなものはない。我欲だよ。物欲、金銭欲」と指摘した上で、「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある。積年たまった日本人の心のあかを」と話した。一方で「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。(「大震災は天罰」「津波で我欲洗い落とせ」石原都知事 朝日新聞 2011年3月14日)
……ということらしい。
この発言が、被災した人たちへの配慮が足りなすぎるのはあたりまえだが、「天罰」という言葉を、石油文明にどっぷり浸かって、欲望を満たすだけの生き方を変えようとしなかった現代人への警鐘である、という意味で使ったのであれば、確かに「どう受け止めるか」という問題だとは思う。
しかし、あれだけのことがあっても反省しないどころか、ますます謙虚さを失い、増長し、狂った方向に「我欲に縛られてポピュリズムでやっている政治」を暴走させたのは他ならぬ石原自身だった。
そして、「天罰」という言葉だけを捉えて騒いだ後は、石原の傲慢政治を許してしまったメディアや市民もまた、反省すべき点は多いはずだ。

さらに大きな災厄・森喜朗

森喜朗×田原総一朗「石原慎太郎が揺れた都知事選と東京五輪招致の裏側」という現代ビジネスの記事に、五輪招致ドラマのことが非常に興味深く出ている。
森によれば、2016年五輪の招致に負けたとき、石原慎太郎都知事は帰りの飛行機のベッドの中で泣いていたという。
:翌日、話をしたら「オレ、選挙に負けたことがないんだよ。こんな悔しいことはない。オリンピックはもう止めた」と言うわけね。「JOC(日本オリンピック委員会)副会長の水野(正人)がIOC委員と『ハグ(抱擁)をしろ』とか『もっと心を込めて握手しろ』とか言いやがって冗談じゃない。なんでオレが好きでもない男とハグしなきゃいけないんだ」と言って(笑)、非常に機嫌が悪かったんです。(現代ビジネスの記事 2013.12.31より)

さらには、
  • 2011年のJOC創立百周年パーティで、石原が森のところへ行き「JOC副会長の水野(正人)は生意気で不愉快だから辞めさせろ。あいつを辞めさせないとオリンピック招致をやらないよ」と言った。
  • それで森は、「JOCは純粋なアマチュアスポーツ団体なのに、スポーツ用品メーカー(ミズノ)のトップが副会長や専務理事をやっているのはおかしい」と言ってみたが、竹田恒和JOC会長が水野氏を庇うので、竹田に石原と話し合うように伝えた。ところが、今度は竹田会長が石原都知事に怒鳴られて「オマエも辞めろ。でなきゃ、オレは(オリンピック招致を)やらねえよ」と言われた。さらには森にも石原から「水野も竹田も辞めさせろ」という電話があった。
  • そのゴタゴタに、元西武グループ総帥の堤義明氏が仲介役として入って、石原はなんとか東京五輪招致運動を続けることになったが、2011年2月になって、次の都知事選には出ないと言いだした。
  • 森は慌てて、当時自民党幹事長だった石原の長男・石原伸晃の顔が潰れるからなんとか出てくれと懇願。「石原さん、あなたも人の親だろう。あなたが出馬しないと伸晃はどういう立場になると思う。自民党の幹事長が東京都知事選の候補者を擁立できず、その相手が自分の父親だということになったら、これは大変な問題ですよ。息子の将来を考えるなら、もう一度、考え直してほしい」……そう言って出馬を口説いた。
石原さんが「わかった。やりゃ、いいんだろう。その代わり、伸晃のことを頼む」と言うので「わかりました」と答えたんです。二〇一二年の自民党総裁選挙で、わが派(清和会)から会長の町村信孝だけでなく安倍晋三まで出馬したにもかかわらず、「オレはどちらも応援しない」と言って伸晃を支持したのは、そういう理由があったからなんです。(現代ビジネス 森喜朗×田原総一朗「石原慎太郎が揺れた都知事選と東京五輪招致の裏側」 2013.12.31より)


まさにこの直後に東日本大震災~原発爆発~全世界に放射能をばらまく……という事態が起きたのだ。
石原がその渦中で「我欲に縛られて政治もポピュリズムでやっている。それを(津波で)一気に押し流す必要がある」と口にしたのは、自分を取り巻く政治状況をさしていたのではないかとさえ思う。

石原は結局、森らに押しきられる形で都知事選に再出馬し、東京五輪招致を公約の1つに掲げた。4月10日の都知事選で当選。当選直後には五輪招致を口にしている
朝日新聞 2011年4月10日


2011年6月17日、東京都議会の所信表明でも、石原都知事は2020年夏季オリンピックの招致を目指す意向を表明した。
自分が「天罰」と言った災害の問題を無視して、我欲の塊のような政治家たちと談合し、息子可愛さもあって五輪招致を決める──これこそ天に唾を吐く所業ではないのか。

「呪い」ではなく「天罰」

こんな経緯で始まった東京五輪2020が開催不能となったのは、石原流に言えばまさに「天罰」なのではなかろうか。
新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延で開催が危ぶまれていた2020年3月、麻生副総理(当時)が「呪われたオリンピックってね。マスコミの好きそうな言葉でしょう、これ」と発言したことをとらえて、一部のメディアは石原の「天罰」発言のとき同様に「無神経だ」と非難したが、麻生は単に「40年周期でそういうことが起こってきた」という歴史を語ったに過ぎない。これは「呪われた」ではなく、やはり「天罰」なのだ。
IOCのオリンピック憲章は、オリンピックの理念は「スポーツを文化、教育と融合させ、生き方の創造を探求するもの」と定め、その目的を「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てること」だと表明している。
東京五輪は、誘致から今まで、こうした理念とはまったくかけ離れたものに埋め尽くされてきた。これこそスポーツや競技者への冒瀆だ。

忘れてしまわないように、報道記事ダイジェストでざっと振り返ってみる。
2012年7月 石原都政を引き継いだ猪瀬知事はツイッターで「世界一カネのかからない五輪」だと明言。


2014年、新国立競技場建てかえ問題が紛糾。2015年にはザハ案が白紙撤回。(記事画像はFACTA ONLINE 2014年9月号より)


2015年、五輪ロゴマーク盗作疑惑問題で一度決まったロゴを白紙撤回。



ザハ案から隈研吾設計に変更になった後も、聖火台はどこについている? とか、サブトラックがなければ陸上競技場として使えないのでは? といった問題が噴出。五輪後の維持費問題も浮上して暗雲漂うばかり。(記事画像はダイヤモンドオンライン「新国立競技場やっぱり無駄だらけ、五輪後の採算に赤信号」 2017年11月28日より)



↑そもそも開催地決定の経緯に賄賂や不正工作疑惑が持ち上がり、フランスで訴訟も起こされる。(記事画像はREUTERSより



↑挙げ句の果てに……。(記事画像は時事ドットコムより

これだけのデタラメや不正を重ねてきたのだから、「呪い」などではなく、石原慎太郎の言葉を借りれば「まさに天罰」というべきだろう。

この五輪招致がなければ、国も東京都も、今これだけ緊急支出が必要なときに、もっと余裕を持ってコロナ対策などに向き合えた。
海外からの渡航者チェックによるウイルス水際防止作戦があそこまでガバガバゆるゆるになることもなかったかもしれない。

謙虚さを失い、利権政治の沼にどっぷり浸かったままここまで来てしまった日本。

なぜこんなことをいつまでも続けているのか。
この不愉快な備忘録を見ながら、メディアや政治家だけでなく、我々一般市民も大いに反省する必要がある。


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