尾米タケル之一座 ガンバレ 「スイシンジャー」!2012/04/17 12:17

これがまともな日本の姿 3.11以降、日本のテレビから原発ネタのお笑いがまったく出てこない。
北朝鮮のことを言えない国になってしまっている。
ようやくほっと一息つけるものを見つけて嬉しいな。






まだまだ再生回数が少なすぎる。
ネットの力、フル稼働だ。
細かいことだけど、テーマソングの字幕の worry のスペルが間違ってるよ

線量の高い場所に「避難」している意味2012/04/19 11:52

郡山市内の空間線量を表示させたところ

ようやく線量の低い場所に戻ってきた役場と学校

文科省WEBサイトに「全国及び福島県の空間線量測定結果」というページができた。
今までは地名と数値がずらずら並んでいるPDFなどで出していたが、原発が爆発して1年以上経ってから、ようやくこのように多少は視覚的に分かりやすいものが出てきた。
今までPDFの資料をダウンロードしてまで読もうと思わなかった人たちも、これで少しは見る気が起きて、現状を分かってもらえるようになるかもしれない。

川内村の村長が「帰村宣言」をしたことに対して「子供たちを汚染された村に戻そうなんて、とんでもない話だ」と憤っている人が未だにたくさんいるようなのだが、事実は逆なのだ。
川内村の村民の多くは、郡山ビッグパレットそばの仮設住宅、あるいは郡山市内のマンションやアパート、戸建て住宅を「借り上げ」て仮設と同じにみなしてもらう制度(入居者数により最高月額9万円まで家賃補助)を使って郡山市内に「避難」しているのだが、空間線量のことだけをいうなら、川内村から郡山市に「避難」する意味はまったくないことがよく分かる。
ビッグパレットからいちばん近い計測ポイントを抜き出してみると、

日出山公園
0.518μSv/h

虹保育園
0.520μSv/h


……といった数値が出てくる。
一方、川内村の中心部を見ると、

川内村立川内小学校
0.110μSv/h

川内村立川内中学校
0.129μSv/h

かわうち保育園
0.168μSv/h

川内村役場
0.146μSv/h

……となっている(2012年4月19日時点)。この0.1xμSv/hというのは、首都圏とあまり変わらない。柏市あたりよりはよほど低い。

その他、ざっと見たところでも、郡山市内のほうが川内村中心部より、どう考えても線量は高い。
郡山市に「避難」している子供たちが川内村に戻って川内小学校や川内中学校、かわうち保育園に通うことは、被曝線量を下げることになる

川内村中心部の線量(0.1xμSv/h)でも十分に高いから危険だと主張する人がたくさんいる。となると、郡山市、福島市、二本松市、本宮市、伊達市といった福島県の都市部は、問題外で住めないということになる。
中心都市部に居住できないなら、福島県は廃県にするしかない。
そういう議論を仕掛けていることになる。
壇上に上がって「帰村宣言などとんでもない!」と声高に叫ぶ人が、川内村の名称すら正しく言えない(かわうちちょう、とか、かわまたむら、とか言っている)というシーンも見たことがある。
考え方がいろいろあることは分かるが、少なくとも単純な事実誤認は避けてほしいものだ。

30km圏の住民が、線量の高い都市部に「避難」していていつまでも戻って来ないのは、被曝が怖いからではないのだ。

↑郡山市内の学校は除染でかなり線量が下がった。こういう場所からピンポイントで除染していくことは必須。


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福島第一だからまだ助かったという話2012/04/23 13:53

玄海原発の立地
■こんな場所に建てた時点で稼働させる資格なし■ 元東電社員という人たちが、次々に原発犯罪を告発している。
木村俊雄さんに続いて、医師・小野俊一さんも積極的に発言している。
遅ればせながら、小野医師の講演動画を見てみた(※下のほうに貼り付けました)。
それはちょっと誇張では? と思うような箇所もあったが、いろいろな視点を提示してくれる有意義な内容だ。
例えば、玄海原発、美浜原発の立地図を見せて、「こんなところで連鎖事故が起きたら人が近づけないから対処不能でしょ。福島第一はそういう意味では海岸に一列に並んでいて(陸側から容易にどの号機にもアクセスできるから)理想的な配置」と述べているところ。
まったくその通りだ。
美浜にしても玄海にしても、進入路である橋が落ちたり、半島の付け根が高濃度汚染されて人が近づけなくなればまったくのお手上げ状態。1Fのような同時進行形事故が起きたら離れたところからなす術なく見ているしかない。
ということは暴走するに任せるまま。その後どうなるかは想像したくもない。
こんな場所に作ってしまったということ自体がダメなわけで、ストレステストだのなんだのと言っている以前に、ロケーションからして失格。
小野医師に言わせれば「いちばんきれいに建てられている」福島第一があんなことになったのだから、他の原発は論外ということになる。どの原発も再稼働なんてありえないでしょ、と。
再稼働を議論していること自体がおかしい。

↑美浜原発の立地(Google Maps より クリックで拡大)


↑玄海原発の立地(Google Maps より クリックで拡大)

どちらも根っこが細い半島の先に位置している。1Fのような同時進行事故が起きた場合、高線量に汚染された場所を通らないと原子炉に近づけなくなるため、お手上げになる。

そもそも、地震大国日本に原子力発電所を建ててはいけないということを福島第一の事故は教えている。
↓これは小出裕章氏の著書『子どもたちに伝えたい──原発が許されない理由』のカバーだが、巨大地震の巣の上に原発を平気で建てている国は日本くらいだということを如実に示している。

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地震大国日本に原発を建て続けてきて、まともな保守管理もしなかったことは「国家犯罪」だが、全世界に放射能をばらまいてしまった今、日本は「犯罪国家」になったのだ。


原発のない社会を実現させるためにまず必要なこと2012/04/30 19:33

送られてきた本と資料
槌田敦さんと室田武さんから同時に本と原稿のコピーが届いた。
エネルギーとエントロピーの問題に気がつかせてくださったお二人には、拙著『3.11後を生きるきみたちへ 福島からのメッセージ』を謹呈した。その返礼としてお送りいただいたもの。
むさぼるようにして読んだ。
『福島原発多重人災 東電の責任を問う  被害者の救済は汚染者負担の原則で』(日本評論社)は かなり衝撃的な内容も含まれていて、今さらながらびっくり。

いくつか興味深い記述を抜き出してみる。


 原発は運転を停止している間であっても、核燃料や使用済み燃料の冷却を続けるためのポンプなどの動力、制御用のシステム、回収工事などの動力として電力を大量に必要とする。これを「所内電力」という。その量は1基あたり約4~5万キロワットにも上る。(中略)
 2007年、柏崎刈羽原発が中越沖地震で7基全部止まったときには、約40万キロワットもの電力を東京から送らなければならなかった。それは柏崎刈羽原発が新潟県最大の「電力消費地点」になったことを意味する。そのためにも東電は、1日も早く柏崎刈羽原発を1基でも動かしたかった。
 3.11後の今も同じことが起きている。(中略)1ワットも電気を生まない福島第一と第二で、これだけの電力(約50万キロワットと推定)が消費されている。(中略)私たちが節電しているのは、福島第一と第二を冷やすためなのかといいたくなるような実態だ。
(第5章冒頭 P49 担当・山崎久隆)

 原発は、一度止まってしまえば、どんなに早くとも安全点検などで1週間程度は再稼働できない。これほど不安定な電源にいつまで依存するつもりなのだろうか。
 「脱・原発依存」という言葉は、計画停電で生産活動に支障があったと主張している経団連などがまっさきにいうべきであろう。
(第5章の最後 P57 担当・山崎久隆)

 かつて、東電の勝俣恒夫会長が総務部長だった頃、東電が自然エネルギーに取り組むことについて「自然エネルギーではだめだということをわかってもらうためです」と語ったことがある。今回もそのやり方で自然エネルギーに資金が投じられる。この資金に人々が群がって大騒ぎするが、結局は勝俣会長のいったように自然エネルギーは失敗する。これを原子力(推進側)は狙っている。
(挿入コラム「エネルギー問題」という大ウソ P135 担当・槌田敦)



2号機、4号機の破壊がどういう経過で起きたのかという点、また、福島県を中心とした汚染の実態を踏まえた上で、被曝してしまった我々が今後どのように生きていけばいいのかという点について、山崎氏と槌田氏の意見は食い違っているが、二人とも3号機が単なる水素爆発ではないという見解では一致している。
同時に手紙と資料を送ってくださった室田武さんも、やはり3号機が水素爆発などではないという見解ではガンダーセン氏、槌田敦氏らの見解は正しいだろうとおっしゃっている。
まあ、僕が生きている間には、本当のことは分からないのだろう。

何がどうなっていたのかということを正確に分析・認識することはもちろん大切なのだが、今、まっ先にしなければいけないことは、エネルギー行政、原子力事故の後始末を、引き続き犯罪者たちの手で行わせてはならないということだ。一旦、原子力ムラを完全解体して、まともな人間、組織にしてから始める。それができないところに最大の問題があり、危険が存在している。

もうひとつ、出版されているものとして『原発廃炉に向けて ──福島原発同時多発事故の原因と影響を総合的に考える』(エントロピー学会編、日本評論社)の中から、室田武さんが担当した「原発廃炉の経済学」の最後の部分を抜き書き。

 再生可能エネルギーとされているもののうち、たとえば太陽光発電、風力発電は、全面的に天候に依存する技術です。送配電網のないところではそうした発電技術は大いに役立ちます。しかし、送配電網が整備されている地域では大きな意味はありません。むしろ高速回転する風車による低周波公害が問題ですし、太陽光パネルも寿命が尽きればゴミの山です。原発を廃炉にしてその代わりに再生可能エネルギーを、といってしまうと、それは幻想に終わります。
 太陽や風力は特殊電源として有用なのであって、常用電源としては、石炭、石油、天然ガスを中心に考え、そのうえで節電、省エネルギー、そして公害対策を進めればいいのです。


室田さんは、脱原発社会を実現するための最大の障壁は、多くの人たちが「CO2温暖化説」に洗脳され、その結果「低炭素社会」を実現せねばと勘違いしていることであって、人々がこの間違った思いこみから一刻も早く抜け出すことが必要だと説いている。
まったくもってこの呪縛はやっかいで、相当なインテリでさえ簡単に引っかかって、しかもその後ずっと強い呪縛にとらわれている。
この呪縛が続く限り、人々の「よき社会を実現したい」という思いは空回りするどころか、原子力ムラの妖怪たちに利用され、税金を吸い取られ続け、自然環境はますます破壊されていく。これではどうにもならない。
僕自身、悪人たちの所業に怒りを覚えるのは当然なのだが、それよりも、善人たちが洗脳されていることへの絶望のほうが大きい。
悪党に殺されるより、善良な人たちに殺されるほうがはるかに哀しい。阿武隈の生活で、実際にそれを経験してきた。これは太平洋戦争に突入していったときと同じような構図だろう。
権力を間違った方向に行使させないためには、善良なる人々の「数」で勝負するしかない。しかし、現代社会では、その「数の力」を、利権にあぐらをかく少数権力者たちがいいようにコントロールし続けている。
原発は、本来やってはいけない事業、成立しえない事業に莫大な税金を投入してごり押ししてきた。まったく同じことが、「再生可能エネルギー」の高額買い取りという形で始まってしまった。
今、この国が全力でやるべきことは、すべての原発を確実に安全に廃炉にしていくことであり、金と人材はそこに注ぎ込まなければならない。これ以上、税金を無駄に捨て、自然破壊を続けてどうする。
これだけひどいことになりながらもまだ目が醒めないこの国に未来はない。