そして私も石になった(6)創世記に出てくる「神」とは?2022/02/14 19:26

スペイン風邪のときはどうだったのか


<人間が大量死するのは、戦争や虐殺事件だけじゃない。自然災害や疫病ではもっと大量の死者が出ることがあるよね。
きみが生まれる5年ほど前にはインフルエンザが世界中に広まった。
 当時の世界人口は約19億人。この約3分の1が罹患して、1億人くらいが死んでいる>

「ざっと20人に1人がインフルエンザで死んだということか。すごい数字だな。本当なのか?」

「本当だよ。で、第一波、第二波、第三波という大きな波があったんだが、第一波はアメリカの陸軍基地で最初に広まった。
 当時、アメリカはヨーロッパで起きていた第一次世界大戦に参戦していて、ここからあっという間にヨーロッパに飛び火した。
 アメリカから持ち込まれたのになぜ「スペイン風邪」と呼ばれるようになったかは知っているかい?>

「知らないな。俺が知らないということを、あんたは知っているんじゃないのか?」

<おっと、失礼したね。これは、当時、ヨーロッパでは第一次大戦の真っ最中で、アメリカだけでなく、参戦しているヨーロッパ諸国ではこの感染症大流行についてはきつい報道管制が敷かれていたからなんだ。しかし、スペインは参戦していなかったので普通に報道した。それが最初の報道になったもんだから「スペイン風邪」なんて名前がつけられてしまったわけさ。スペインはいい迷惑だね。
 このインフルエンザは一旦収まるかに見えた後、変異して毒性を増し、第二波では致死率が数倍になる。その後の第三波では少し弱まったけれど、第一波よりは強かった。で、最終的には全世界で1億人規模の死者が出たわけだ。
 日本にも上陸して、大正7年から大正10年にかけて全人口の半分近くが罹患して、約39万人が死んだ。関東大震災での死者のおよそ4倍だね。当時の日本の人口は5500万人だから、1000人に7人が死んだ計算になる。それでも、世界規模では20人に1人、1000人のうち50人が死んだわけだから、日本はまだ軽症だったともいえるね>

「そうやってすごい数を並べているけど、インフルエンザは人間が起こす虐殺や戦争とは違うだろ。同列にはできない」

<確かにそうだ。でも、考えてみてほしい。人間を一度に大量に死なせたい場合、戦争や虐殺に比べて、疫病ははるかに効率がいい>

「効率? それは人間が意志を持って何かをやるときの話だろ」

<そうだね。でも、スペイン風邪のような疫病を人間が意志を持って作ってばらまけるようになったら、高価な武器を使って戦争を起こすよりもずっと大きな結果を得られるということだよ。
 第一次大戦というのは、それまでの戦争とはまったく違う様相を呈した戦争になっていた。戦車、潜水艦、航空機といった近代兵器が登場し、毒ガスまで使われた。その結果、兵士、民間人合わせて1700万人も死んで、人類史上死亡者数の最も多い戦争になった。
 それでも、死者1700万人というのは、スペイン風邪による死者数1億人というのは一桁違う。
 戦争や虐殺は、終結した後も、爆撃による都市機能の破壊や労働力の中心である若い世代の人口減という負債を負う。国同士、民族間の怨恨も増える。
 それに対して、疫病では、人は死んでも都市やインフラは破壊されない。死ぬ中心は病気に勝てない高齢者や赤ん坊といった弱者が中心で、屈強な若者は持ちこたえやすい。「敵」は病原体だから、恨んでも仕方がない。だから、収まった後の社会の立て直しがやりやすい>

「生物兵器の話をしているのか?」

<兵器というか……手段だね。方法論>

「兵器は戦争に勝つための手段だろ? 違うのか?」

<生物「兵器」といってしまうと、きみたちはすぐに国家間や民族間の戦争に結びつける。もう少し考え方を広げてみる必要があるんだな。
 多くの人が思い描く戦争というのは「国盗り合戦」みたいなものだ。権力者が土地や人を奪い取って支配を広げていくゲームのようなイメージ。古代から今に至るまで、それは基本的に変わらない。
 しかし、冷静に考えてみれば、そんなことをしても誰の得にもならない。だってそうだろ、人はせいぜい数十年で死んでしまうんだよ。どんなに広い領土をぶんどっても、民衆を侍らせ、貢がせても、それで得られる優越感や快楽はあっという間に消えてしまう。そう思わないか?>

「思うよ。一時の快楽や優越感のために他人を大量に殺したり苦しませたりするなんて、それこそ『効率が悪い』よな。もっといい方法で幸福感を得られるはずだから」

<そうなんだよ。そんな簡単なことも分からないまま、なぜ人間は戦争や虐殺を繰り返してきたと思う? 戦争というのは、戦争を主導する権力者だけでなく、そこに参加して戦う兵士や、戦争を裏で支える民衆の協力も必要だ。もちろん、無理矢理従わせられる人たちが大多数だろうが、民衆が一致団結して権力者に戦争をやめさせるなんていうことは、歴史上まず起きなかった。不思議だと思わないか?>

「う~ん、そういわれてもなあ……」

<答えを先にいおうか。人間を動かしている、人間以外の(ヽヽヽヽヽ)意志があるんだよ>

Nのその言葉に、俺の脳の中で、痺れるような衝撃が走った。

           


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そして私も石になった(7)エゼキエル書を読み解く2022/02/14 19:29

エゼキエル書を読み解く


「アダムは個人の名前ではない?」

 俺は訊き返した。

<そう。単数か複数かはあまり関係がない。創世記の第二章から四章までを無視すれば、「神」がアダムという生命体をつくった、ということだけが書かれているんだよ。
 神は自分の姿、つまり自分の肉体に近い生命体をつくりたかった。まったくゼロからつくり出すことはできないので、すでに存在する生物種を改造してつくった。アダムやセツという名前は、その実験結果に生まれた生物第1号、第2号といった意味しかない。
 何百歳まで生きたとか、何年目で子供を産んだというのは、つくり出したその生物種の寿命や、子孫を残せるかという、つまり増やしていけるかということが重要だから書いている。つまり、まだ実験段階だったのさ>

「ということは、その『神』というのは宇宙人みたいなものか?」

<そうだね。きみたちのイメージではそれで間違っていない。きみたち人類よりもはるかに高度な知識や技術を持った生物だ。
 そのことをはっきりと記録しているのが聖書の中の「エゼキエル書」だね。読んだことはあるかい?>

「エゼキエル……聞いたことはあるけれど、読んだことはないな。どんな内容なんだ?」

<とても面白い内容だよ。
 ある日、川の畔にいたエゼキエル司祭のもとに、空から閃光を放ちながら、燃え上がる雲のような物体が飛んできて着陸したというところから始まる。
 その「物体」の形や動きを、エゼキエルは詳細に記している。その描写を先入観なしで現代人が読めば、彼の目の前に現れたものがどんなものかはすぐに想像できるはずだよ>

「どんなものだったんだ?」

<じゃあ、少し長くなるけれど……>

 そう言うと、Nはエゼキエル書の一部を俺の頭の中に再現させた。

雲の中は磨き上げた金属のように輝いていた。
そのさらに中心部には、四つの生物のようなものが見えた。
その生物は人間にも似ていた。
ただし、おのおのの生物には四つの顔と四つの翼がついている。
脚はまっすぐで、先は仔牛の蹄のようであり、青銅のように光っていた。
四つの翼の下には、人間の手のようなものがついていた。
四つの生物は背中合わせになっており、翼の先端が触れあっている。
四つの生物は離れずに各方向に移動するその際も、身体の向きは変わらない
四つの生物はそれぞれ正面に人間の顔を持ち、右側にはライオンの顔、左側には牛の顔、背中側には鷲の顔を持っていた。
それぞれが二枚の翼をひろげ、それは隣り合った生物の翼と接している。
残りの二枚の翼は、胴体にそって畳まれている。
四つの生物はどの方向に移動するにも一緒で、身体の向きを変えることもない。なぜなら、どれもがまっすぐ前を向いているからだ。
生物は熱した石炭のように輝き内部では強烈なたいまつの火のようなものがピストンのように動いているのが見えた。
その炎は燃え上がるたびに閃光を放った
生物たちも、火の粉のようにすばやく動いた。
そのとき、私はこの四つの生き物の横に、地面に接するように車輪がついていることに気がついた。
車輪は、宝石のように輝いていた。
個々の車輪はまったく同じもので、中部にはさらに別の車輪が組み込まれていた
そのため、生物はどの方向にも、向きを変えることなく移動できるのだった。
車輪のリム部分は大きく、周囲にはたくさんの目がついていた
生物は車輪を自由に制御し、自在に動くことができた。生物が動く方向に車輪も動き、生物が止まれば車輪も止まる
生物が空を飛ぶと、車輪もまた一緒に浮き上がる
生物の上方には、氷のように光り輝くドーム状のものがあった。
生物の翼のうち二枚は両側の生き物のほうに広げられ、二枚はボディ側に折りたたまれていた。
生物が飛ぶとき、その羽音は海鳴りや大軍の雄叫びのような凄まじさだった。いや、まさにこれこそが全能の神の声だ。
生物が動きを止めると、翼は折りたたまれた
その生物が羽ばたきを止めたとき、ドームの上から音が聞こえた。
そのとき、私は見た。サファイアでできた玉座のようなものを。玉座には、人間の形をした人影があった。
その人影の腰から上は、炉の中で熱せられる金属のように光り輝き、腰から下もまた、燃えさかる炎のように見えた。
その人影は、嵐の後に出る虹のように明るい光に包まれていた
私は今まさに神の栄光に触れたことを知った。私は地に顔をつけてひれ伏した。その私に、声が呼びかけてきた。

<……どうだい? きみはこの描写からどんなものが見えてくる?>

 Nはどこか楽しそうにそう言った。
 俺は素直に答えた。

「乗り物だな。その乗り物には折りたたみ式の翼と、4方向にまっすぐに伸びた脚がついていて、脚の付け根にはライトやゴツい装置がいろいろくっついている。その装置が怪物の顔のように見えて4つの生きものが背中合わせにくっついているように見える。脚の先にはベアリングみたいなものが組み込まれた金属製の車輪がついていて、中央は透明なガラスか樹脂みたいなもので覆われた球形の操縦室。燃焼エンジンによるジェット噴射で空中も地上も直線的に移動する乗り物……ジェットへりとか、月面探査機みたいなものかな」

<そうだよね。文字通りに読み取れば、誰もがそういうものを思い浮かべるはずだ。
 もちろんエゼキエルはそんなものを見たこともないし、金属の加工製品とかエンジンとか透明の樹脂やガラスのようなものも知らない。空から現れた乗り物全体を「神」だと思い込んだわけだ。
 エゼキエル書は英語訳で読むとリアルさが増すと思うよ。例えば、4本の脚の先に車輪が着いていて……というくだりは、英訳聖書にはこう書かれている。
I then noticed that on the ground beside each of the four living creatures was a wheel,shining like chrysolite.
Each wheel was exactly the same and had a second wheel that cut through the middle of it, so that they could move in any direction without turning.
The rims of the wheels were large and had eyes all the way around them.

 橄欖石(かんらんせき)のように光るホイールとかリムとか、ホイールの真ん中にさらにホイールがあるとか、曲がることなくどんな方向にも動くとか、もう完全に「マシン」の描写としか思えないよね>

「そうだなあ。そんなことが本当に聖書に書いてあるのか? 誰もそれを不思議に思わないのか?」

<聖書が面白いのは、こういうものが紛れ込んでいるからだよ。
 創世記の一章と五章は、二章から四章までとは明らかに違う。エゼキエル書は冒頭からしてどう考えても空中浮揚できる金属製の乗り物のことが書かれている。あまりにも奇妙な描写なんで、後の人間も改竄できずに放置したんだね>

「ということは、やはり聖書に出てくる『神』は宇宙人ってことか?」

<いやいや、そう急ぎなさんな。
 エゼキエル書に出てくる「神」がそうした技術を持った人間型の生物だとしても、不思議に思わないかい?
 この4本脚と折りたたみ式の翼と燃焼エンジンを持つ空中浮揚できる乗り物って、ずいぶんポンコツだよね>

「ポンコツ? そうかな?」

<「熱した石炭のように輝き、内部では強烈なたいまつの火のようなものがピストンのように動いている」なんていうくだりは、まるで蒸気機関車のようなイメージじゃないか。翼が付いているとか、騒音がするというのも全然スマートじゃない。そんなもので宇宙空間を飛行して地球にやって来られるかね>

「……なるほど。言われてみれば古臭いかもしれないな。いわゆる空飛ぶ円盤とかのイメージよりはずっとダサい」

<そうなんだ。ましてや全知全能の神というイメージからはほど遠い。
 実は、エゼキエルが見たこのダサい乗り物の操縦室にいたのは「神」そのものではなかった。神がつくった、いや、改造した人間型の生きものだったんだ。創世記に出てくるアダムとかセツとかと同じ系列、その何代目かの改造生物だ。
 乗り物を作ったのもその改造生物で、「神」はそれを指導していた。材料の一部を提供したりしてね>

「はあ~。だけど、そうなると俺たち人間はどういう位置にいるんだ? 人間と、そのアダムとかセツとかと、あるいはそれをつくり出した『神』の関係っていうのはどうなるんだ?」

<さすがだね。まさにそこなんだよ。
 エゼキエルの時代に、「神」がすでにジェットへりみたいな乗り物を操れる生物種をつくりだしていたなら、それ以下の知能や技術を持つ人間と関わる必要などなかったはずだ。
 それなのに、なぜ「神」はこの星で人間をつくらなければならなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)のか……>

 Nはそういうと、またしばらく俺に考える時間を与えるかのように黙り込んだ。
           


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そして私も石になった(8)アダムは失敗作だった2022/02/14 19:34

アダムは「失敗作」だった


「アダムやセツが個人の名前ではなくて『神』が実験的につくりだした生物種の名前で、その何代目かがジェットへりみたいな乗り物を操るくらいの知能や技術を持つに到った……そういう話だよな。それなら、人間なんて必要ないんじゃないのか、と」

 俺はNの言葉をほとんどそのまま繰り返した。自分がしっかり理解するために必要だったからだ。

<そういうことだね。
 「神」がこの星以外のどこかからやってきて、この星で生存したいというだけなら、人間なんて必要ない。
 神が草食なら、草木が生えているだけでいい。肉食なら、牛や豚のような家畜がいればいい。しかも、アダムのような「使える」生物もつくることができた。それで十分なはずだよね。それ以上、中途半端に知恵をつけた人間のような生物をつくったら、生態系のコントロールが面倒なことになりかねない。
 それなのに、彼らはアダムよりも能力的にずっと劣っている人間という生物種もつくった。なぜだと思う?>

「多くの労働力が必要だったんじゃないか? アダムやセツだけでは足りなくて、その下で働く単純な労働力が」

<おお、素晴らしいね。そういうことだよ。足りなかったというより、アダムは失敗作だったんだ。
 アダムには生殖能力が備わらず、自分たちだけで繁殖できなかった>

「聖書に書いてあるように『産めよ増やせよ』と神が言っても、それに応えられなかったと?」

<そうなんだ。これはもう、致命的だろう?
 聖書は実に混沌とした内容で、読み解くのがやっかいだけれど、よく読めば、二つのことが共通して語られていることに気づくはずだ。
 ひとつは『神は自分の姿に似せて人間を作った』ということ。
 これには、すでにきみも気づいていると思うけど、今で言うクローン技術や遺伝子工学といったものが使われている。
 同じ遺伝子情報を持つ肉体を再生産できるなら、生殖行為によって子孫を増やす必要がなくなる。優秀な遺伝子だけを選んで残していくこともできる。
 「神」自身が自分たちの寿命を延ばすためにもそうした生命工学を駆使してきた。
 その結果、彼らはクローンで肉体を再生産しすぎて、性差というものをほとんど失ってしまった。
 性を決定するXとYの性染色体のうち、Y染色体は、X染色体に比べると欠損が多く、情報量が減ってきているというのは知っているかな?>

「ああ、なんか聞いたことはある」

<女性はXXで、同じ染色体が二つなので、一つに欠損ができてももう一方が補える。でも、Y染色体は常に一つしかないので、欠損が起きたときに補ったり修正したりできないまま次の世代に引き継がれやすい。その結果、長い時間を経ていくと、情報量がどんどん減ってしまうんだよね。
 ましてやクローンで肉体の再生産を繰り返していくと、コピーのエラーが積み重なって、全体的には劣化する。
 コンピュータのデータファイルはデジタル信号だから完全なコピーが作れるけれど、何回もコピーしていくうちにエラーが増えていって、気がつくとデータがあちこち壊れてしまっているというのと同じ理屈さ。
 自然な生殖行為による生物種の維持も、Y染色体のコピーエラーが重なっていくことによって男の生殖能力は全体的に少しずつ落ちていく。最後は子孫を残せなくなって、種が絶滅する。
 個々の生物に寿命があるように、生物種全体にも寿命がある。その宿命からは、なかなか逃れられないのさ。

「神もそういう運命をたどったというわけか?」

<そういうことだ。「神」の肉体はひ弱なんだよ。絶対的な生存数も少ない。
 彼らは自分たちの種としての寿命を延ばすために新天地を求めてこの星にやってきた。でも、この地球上に自分たちがかつて築いたような物質文明社会をゼロから再構築するには、屈強な肉体とまともな繁殖力を持つ生物が必要だった。
 アダムはもともとこの地球にいた生物を改造して自分たちの肉体に近づけた試作品だったんだけど、うまくはいかなかった。生殖能力が弱くて、普通には増えてくれない。だからアダムのクローンを作った。それがセツだね。
 創世記第五章に「アダムは130歳になったとき、自分の形に似せた男の子を産み、セツと名づけた。アダムはセツを生んだ後、800年生きて、他に男子と女子を産んだ」という記述があるのを思い出してくれ。そんなに長く生きて、産んだ子供はたったの3人かい、って思わなかった?>

「そうだよなあ。930年で3人じゃあ、子孫がなかなか増えていかない」

<実は、その「産んだ」というのは古代人の理解に合わせた表現でね。アダムが「自分の形に似せた男の子を産んだ」というのは、神がアダムのクローンを作ったということなんだ。
 アダムには神の遺伝子が入っているので、神ほどではないけれど長命なんだが、生殖能力はなかった。豹とライオンを交配させてできたレオポンが繁殖できないというのと同じだね。
 そこで、アダムのクローンを作った後、神はアダムの肉体を使ったクローンをさらに改造して、男女の性差をつけようとした。
 そういう実験を初期の頃は繰り返していたんだね。それを伝えているのが創世記第五章なんだよ。
 何百歳まで生きたとか、何年目で子供を産んだというのは、つくり出したその生物種の寿命や、子孫を残せるか、残せそうもないと分かって、やむなくクローンを作ったが、その時期はいつかといったことが重要だから書いている。
 ついでにいえば、創世記第六章は有名なノアの方舟の話が中心なんだけれど、洪水の話になる前に「ネフィリム」という興味深い生物の話がチラッと出てくる。
さて、地上に人が増え始め、娘たちが生まれた。
神の子らは、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
そこで神は言った。
「わたしの霊は人の中に永久にとどまるべきではない。人は肉にすぎないのだから」
こうして、人の一生は120年となった
当時もその後も、地上にはネフィリムがいた。これは、神の子らが人の娘たちと交わって産ませたものであり、大昔の名高い英雄たちであった。

 ……面白いよね。アダムから始まった改造生物種がその後どうなっていったかがうかがい知れる記述だ。
 「神の子」と複数形で書いているから、初期型の改造生物種に何度も手が加えられ、実験が繰り返されるうちにある程度の数になっていたことが分かる。それらが人間の女性と性交し、子供を産ませたということだね。そうして生まれたのがネフィリム。「天から落ちてきた者たち」という意味だ。
 実は、アダムからつくった最初の子であるセツはクローンなんだが、その後、800年生きて生まれた男子と女子というのは人間の女性に産ませたネフィリムだ。ネフィリムだから性別がはっきりしているので、男子と女子なんだ。
 でも、ネフィリム同士では繁殖できなかった。ネフィリムは人間に比べれば体力や知力に優れていたから、英雄視される者もいたけれど、その能力にものを言わせて面倒を起こす者も出てくる。
 神としては、自分たちの道具にしかすぎない生物種が中途半端に力を持って面倒を起こすことは許せなかった。「人は肉にすぎない」とか、寿命を大幅に短くしたといった記述は、神の苛立ちを表しているね。
 こんな風に、神の実験は紆余曲折を経て、どんどん混沌としてくる。そこでついに神は短気を起こして、一度ガラガラポンをするわけだ。え~い、やめやめ。やり直し! とね。それが洪水とノアの方舟の話に込められている>

「なんかもう、トンデモな話だなあ。にわかには信じられない」

<うん、今は信じられなくていいよ。それでも、完全否定ではなく、半信半疑くらいなら嬉しいけれどね>

「じゃあ、そういうことにする。半信半疑。面白い話ではあるし。続けてくれ」

<ここまでの話をまとめてみようか。
 神は自分の姿、つまり自分の肉体に近い生命体をつくりたかった。まったくゼロからつくり出すことはできないので、地球上にすでに存在していた生物種を利用してつくった。アダムやセツという名前は、その実験結果に生まれた生物第1号、第2号といった意味しかない。
 でも、そうしてつくった最初の改造生物は、自分たちだけでは子孫を増やせないという点で「失敗作」だった。
 ここまではいいかな?>

「ああ」

<そこで神としては、もっとこの地球環境に合った自然な生命力、繁殖力、適応力を持った生物種をつくって、自分たちが望む文明の基盤作りに利用する必要があった。
 これこそが、彼らがこの星で人間をつくらなければならなかった(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)理由なんだよ>

「悲しい話だな。俺たち人間は、神にとっての労働力なのか?」

<単なる労働力以上のものだね。
 彼らが地球にやってきたとき、所持していた道具や資材は極めて限られていた。だから、この星に彼らが望む社会基盤を作るには、地球の資源を使って「物」を製造する必要があった。
 しかし、彼らはそれを実際に行うだけの屈強な肉体を持っていない。数も足りない。
 その役割を担わせるつもりだったアダムは自分たちだけでは繁殖できず、失敗作だった。
 そこで、人間という本来の地球の生物種に限りなく近い生物を作り、時間をかけて数を増やし、知恵をつけさせ、文明を築かせるという計画を立て、実行し始めた。
 繁殖力を失わせないことと引き替えに、知能は劣る。でも、時間をかければ、自分たちが望むだけの技術を持ち、文明社会を築けるはずだ、と。
 人類史というのは、こうして始まった。そして現在は、その最終段階にさしかかっている>


           


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そして私も石になった(9)聖書の「契約」とは?2022/02/14 19:37

聖書の「契約」とは?


「あんたはさっき、聖書の中身はかなりグチャグチャだけど、概ね二つのことが共通して語られていると言ったね。ひとつは『神は自分の姿に似せて人間を作った』ということで、その意味は大体分かった。もうひとつというのは何だい?」

 俺はNに訊いた。
 俺が話に乗ってきているので、Nは機嫌よさそうにすぐ答えた。

<もうひとつはいわゆる「神と人間との契約」だね>

「どんな契約なんだ?」

<端的に言えば「この世界は必ず終末を迎える」ということさ。
 今ある「世界」は一旦滅びる。それは神が決めたことで動かしようがないことだから、人間はそれを受け入れなければならない。そして、その終末をしっかり……神の計画通り迎えるために人間は努力しなければいけない、という内容。これが神と人間の間に交わされた「契約」なんだ。その神の計画を手伝う人間ほど神への忠誠心があるわけで、神に愛される>

「世界が終わってしまったら、神も困るんじゃないのか?」

<いや、困らない。
 終わらせる「世界」というのは、人間から見た世界、人間が主役の世界のことだ。地球が爆発して消えてしまうとか、そういうことじゃない。
 もっと分かりやすくいえば、「人間が支配する世界」は終わる、という意味だ。
 人間は神のために動く労働力であり道具なのだから、世界の最終的な支配者にはなれない。神が望んだ仕事をし終えたら、人間の社会は終わり。でも、それまでは、人間に効率よく働いてもらうために、人間がこの世界を支配していると思い込ませる必要がある。
 あるいは、人間は神の(しもべ)であって、神のために行動することが最高の善であると信じ込ませる。
 前者は唯物論や物質主義、後者は宗教というもので言い換えられるかな。彼ら(ヽヽ)はその両方をうまく使って、人間をコントロールしてきたんだ>

「神が人間にさせたかった仕事というのは?」

<それは今まで説明してきたことを踏まえれば、簡単に想像がつくだろう? 一言でいえば、物質文明を発展させることさ。
 神がこの星に持ち込めた道具や資材は極めて限られていた。神がかつて築いたような文明社会を築くためには、金属やエネルギー資源の発掘と、それを使った工業製品の生産が必要だ。
 資源は地球の地下にたっぷりある。しかし、それを取りだして、高度な工業製品を作るだけの肉体を神は持っていない。人数もまったく足りない。
 代わりに働かせようと思って作ったアダムなどの初期型改造生物種は、繁殖ができないという欠陥品だった。
 そこで、一旦リセットし、時間がかかってもいいから、人間という種を成長させて、神が棲む場所にふさわしい高度な物質文明を築かせることにした。
 人間に地下資源の存在やその活用法を知らせるのには長い時間がかかった。でも、一旦スイッチが入れば、そこからは一気に加速していく。
 古代文明から産業革命までは数千年かかっているけれど、産業革命から現在まではあっという間だっただろう?
 彼らの計画は今のところ概ねうまくいっているんだ。
 で、そろそろ計画の最終段階にきている。役割が終わったら、人間には退いてもらう。神が使いやすい道具としての数と品質を残せば、あとはいらない。不良在庫として処分される>

「穫れすぎた野菜が廃棄されるようにか? 俺たちは野菜と同じか。恐ろしい話だな」

<いい喩えだね。そう、人間も他の生物に対してはまったく同じことをしている。神が無慈悲で残虐だとか思うのは人間の勝手な思い違いだね。神は自分たちの生存をかけて真剣に行動しているのだから。
 娯楽のために他の生物を殺す人間のほうがよほど残虐でとんでもない生き物だよ>

「神はやむにやまれず大量殺戮もするというのか?」

<人間だって逆の立場なら同じことをなんの躊躇もなくするだろう。その証拠に、宇宙戦争とか怪獣ものの映画とかでは、人間の生存を脅かす他の生物種を殺すことは当然であるだけでなく、正義であり、美しい愛の行為であるとさえ描かれる。
 神や人間の世界では、正義とか悪といった概念は相対的なものだ。どちらが主役か、という視点の違いによって逆転する。
 そもそも「やむにやまれず」とか、そういう表現がすでに人間的というか、情緒的だよね。そうした感情は、結局のところ、自分たち人間がこの世界で最も「生きる価値」を持った存在だという思いこみから生まれている。
 神はもっとずっと合理主義だ。そうすることが合理的、効率的だからする。それだけのことなんだ>

 俺はそれ以上反論する気にはなれなかった。
 どんどんNの言い分、世界観に巻き込まれていく。
 いいようのない虚無感、無力感に包まれていくのを感じていた。

           


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そして私も石になった(10)神の計算と誤算2022/02/14 19:39

神の計算と誤算


 しばらく沈黙があった後、俺は気を取り直してNにこう訊ねた。
「さっきあんたは、神の計画は今のところ概ね(ヽヽ)うまくいっている、と言ったね。概ね、ということは、完全にはうまくいっていないということか? このまま神の計画が最後までうまくいかない可能性もまだ残っているのか?」

<お、そうきたか。
 そうだね。もちろん神は完全じゃない。実際、初期の頃のアダム計画では失敗して、その後、「洪水」というやり直しを試みている。
 聖書に書かれている「洪水」とノアの方舟のくだりは寓話化されている。実際には、アダム型人間やネフィリムを中心にした人間社会が複数存在していたんだけれど、どれも技術的な発展を急ぎすぎて自滅してしまったんだ。
 いわゆるオーパーツと呼ばれる遺物は、そうした「失敗文明」の遺物だ。
 そうした失敗例と、それを清算するために完全にその社会を消してしまったといういくつかの歴史をまとめて「洪水」の話として残したんだよ。
 当初、神は人間をアダム型生物の下で働く労働力としてつくったんだが、いくつかの失敗例に学んだ後、今度は人間を主役にして、時間をかけて技術インフラを作り直すことにした。人間の能力は低いけれど、その分、コントロールしやすい。時間をかけて育てれば、かなりのレベルまでいけると読んだんだね。
 そんな風に、神が行った方針の変更や細かな軌道修正はいろいろある。神も学習しながらやり方を工夫しているんだよ>

「具体的にはどんな風に?」

<いちばん大きな方針変更は、今言ったように、人間をコントロールする役割を、人間に担わせたことだね。
 人間の上にアダムのような上位生物種を置くのではなく、人間の中から人間社会をコントロールする人材を育てる。そのほうが計画がうまく進むということを悟ったんだ。
 アダムやネフィリムのような、人間から見て明らかに自分たちの能力を超えた生物種を監督役として据えると、人間は頑張らなくなる。努力しても自分たちはこの世界では二番目の地位にしかなれないからね。
 しかし、人間たちが世代を重ね、数も増えていくと、人間の中に突出した能力を持つ者も出てくる。そうした人材をうまく利用して、人間社会の中にさらに支配者と被支配層を作ったほうが、社会は変化しやすくなる
 もう忘れたかもしれないけれど、きみが生まれた年に日本で起きた関東大震災のことを思い出してくれ。あのときに民衆の間で起きた集団虐殺事件がどのような構図で起こったのかという話を。
 ああいう集団行動は、人間の上にはっきりと目に見える上位生物種がいて、その生物種が管理している社会では起こりにくい。支配されている者たちが尻込みしてしまうんだ。
 人間が犬の群れに向かって、さあ、殺し合いをしろと命令しても犬の群れは動かない。普段の行動パターンにない行動を集団で起こすことは怖いし、その動機も持ち得ないからね。
 でも、犬の群れの中にリーダー犬がいて、その犬が号令をかければ群れは一斉に動き出す>

「そんなものかね」

<そんなものだよ。実際、人間社会はそうなっているじゃないか。
 というわけで、ここまで神は概ねうまくやってきた。
 でも、人間は100パーセント神が計算した通りの生物ではなかった。
 人間には、アダム型生物やネフィリムとは違って繁殖力を残すために、もともとの地球型生物の要素を多く残した。その結果、人間という生物種の中に、神にとっては予想しなかった、計算外な要素も含まれたんだ>

「人間の中の計算外の要素? どんなものだ?」

<例えば芸術。
 神もかつては美術や音楽といったアートを楽しむ精神性を持っていたと思うんだが、科学技術や生命科学を極度に発展させていくに従って忘れていったんだろうね。科学技術の発展にはあまり必要のないものだったからだ。
 しかし、人間は地球型生物をベースにしていて、本来の要素を濃く残していたから、神が持っていた知能などの要素を植えつけたことにより、他の地球型生物や神自身が失っていた「芸術を楽しむ」という要素が生まれた。
 例えば、絵を描くという能力は科学技術を発展させるためには不可欠な能力だ。精密な設計図を描いたり、生物の解剖図を描いたりする器用さがなければ高度な科学技術を獲得することはできない。神はもちろんそれが分かっていたから、人間が器用な指先を持つことは最重要の要件としていた。
 しかし、人間はごく初期の段階から、そうした「絵を描く技術」「物を正確に造形する技術」とは別の要素を楽しむ心を持つようになった。古代の壁画とか彫刻を見れば分かるだろう? 正確無比に描こうと思えばできるのに、わざとデフォルメしたり、現実とはかけ離れた彩色を施したりした。そうすることを楽しみ、そこに一種のかっこよさ、快感を感じるようになった。これがまさに「アート」の根源だね。
 神は人間たちがアートを楽しむのを見て驚いた。自分たちがとっくの昔に忘れてしまったものを見せつけられたからだ>

「神には芸術は分からない?」

<分からないというよりは、楽しめないというべきかな。
 もちろん、アートを分析したり、理論立てたりすることはできるんだよ。例えば、音楽なら、音の周波数で耳に心地よい和音をつくる法則とか、造形なら、バランスのよい長さや面積の比率とか。
 ダビンチが描く絵画や様々な装置の設計図なんかはそうした合理性や完成度という面では極めて神の価値観に近いものだよね。
 ところが、人間はごく初期の時代から、アブストラクトな美的感覚を持つ者が現れ、アートの世界を楽しんでいた。
 音楽も、完全な和音よりも緊張感を持った和音をカッコいいと感じるような者が出てきて、ジャズみたいなものが生まれた。
 こうしたことは、神には計算外だったんだよ>

「計算外なら、排除しようとはしなかったのか?」

<それは単純すぎる。神はもっとしたたかだよ。
 無理に排除して人間の精神にストレスを溜めるより、利用したほうがいい。
 彼らは人間が楽しんでいる様々な芸術や娯楽を徹底的に分析し、それを人間をコントロールする道具に使うようにした。
 芸術そのものは科学技術の発展に必要のないものかもしれないけれど、芸術を利用して人間の創造力や目的遂行への集中力を高めることができる。
 それだけじゃない。麻薬のように使えば、神にとって都合の悪い真理を悟られずに、神が人間を向かわせたい方向にだけ進んでいく自動操縦の道具のように操れる。
 そういう目的に芸術や娯楽を使うのであれば、芸術を生み出す人間はごく少数でいい。残りは芸術や娯楽に耽溺し、消費するようにする。
 産業革命以降、印刷、録音、再生、放送といった技術が発展するにつれ、神のこの作戦は面白いように成功していった」

「ふうう……」
 俺は思わず大きなため息をつき、天を、いや、部屋の天井を見上げてしまった。

           


ジャンル分け不能のニュータイプ小説。 精神療法士を副業とする翻訳家アラン・イシコフが、インターナショナルスクール時代の学友たちとの再会や、異端の学者、怪しげなUFO研究家などとの接触を重ねながら現代人類社会の真相に迫っていく……。 2010年に最初の電子版が出版されたものを、2013年に再編。さらには紙の本としても2019年に刊行。
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