原発が壊れるのは靴下が片方なくなるのと同じ2016/05/03 13:41

同じ!
フェイスブックで「大笑いした」というネタが⇒これ。「いったいなぜ?靴下の片方だけが行方不明になってしまう謎が科学者によって解き明かされる」
 洗濯をするたびに靴下の片方が行方不明になってしまう。おかげでタンスの中は片方しかない靴下だらけで、新しく買いなおす出費もバカにならない。だが、この人類を苦しめるミステリーがついに解き明かされた。
 ミステリーの解明を行ったのは心理学者サイモン・ムーア博士と統計学者ジェフ・エリス博士……。


ほお~、そうですか。
心理学者と統計学者が本気で研究したわけですね。

 この調査から、イギリスでは1人当たり月平均1.3足の靴下が消失していることが判明。1年なら15足、一生なら1,264足にもなる。 靴下消失による損害は1人当たりの生涯でおよそ40万円(2,528ポンド)、年間3,158億円(20億ポンド)にも達する。


……というわけで、真面目な調査・研究なのだということは分かった。
で、ニヤニヤしながら読んでいたのはこのへんまで。
次の部分を読んで、急に笑っていられなくなった。

なお、靴下消失に関わる4つの心理的要因は以下の通りだ。

1. 責任の分散
 洗濯する者が自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も失くし物について責任を負わない。結局、靴下は見つからなくなってしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えば靴下やテレビのリモコンなどがいつもの場所にないと、失くしてしまったと思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。今回の事例でいうなら、人は両方揃っていない靴下が目に入らなければ、それはないと信じ込みがちということだ。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、誰かが床に靴下が落ちているのを見たとしても、それを拾って洗濯物カゴや洗濯機の中に入れなかったりすることがある。この場合は過怠だ。あるいは色の濃い洗濯物の中に白い靴下を入れてしまったり、片方だけ適当な場所に置いてしまったりすることがある。これが過失である。


……これって…………。

もうお分かりだと思うが、少しだけ書き直してみた。

1. 責任の分散
 政府、電力会社、規制委員会それぞれが自分以外の人間に責任を押し付けることから、誰も事故や欠陥について責任を負わない。結局、重大事故は必ず起きてしまう。

2. 視覚的認識(ヒューリスティック)
 ヒューリスティックとは、暗黙のうちに用いる簡易な解法や法則のことをいう。さっと判断できる反面、必ずしも正しいわけではなく、判断結果にバイアスがあることも多い。このバイアスのせいで、例えばパッと見ていつも通りの風景だと、これで大丈夫と思い込んでしまう。
 
3. 確証バイアス
 人は真実であってほしいと思ったことを真実であると思い込む傾向にある。事故は絶対に起きないと言い続けていれば、いつか本当に起きないと信じ込むようになる。

4. 過失、過怠
 様々な事故や謎の背景にはヒューマンエラーがある。例えば、作業現場で誰かが床に小さなボルトが一本落ちているのを見たとしても、それを拾って正体を確かめようとしないことがある。この場合は過怠だ。あるいは微妙に寸法の違うボルトをちょっと緩いかもと感じつつ間違った場所に使ってしまったりすることがある。これが過失である。



靴下が片方だけなくなるのも、原発から放射性物質が漏れ出すのも、人間のやることであるから必ず起きる。原発が絶対に安全だと主張する人は、靴下はなくならない、靴下紛失事故は必ず防げる、と言っているのと同じことだ。

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「フクシマ」を3.11に埋没させないために2016/03/11 19:37

中継をやめさせようとする関電職員と素直に応じる代表取材局のNHK

最大の危険要因は「人間」

関西電力広報担当職員 「いったんこれで今日終わりにします。今日ね、もう、並列(送電開始)なし。は~い。(横の誰かに向かって)タービンうまく並列できへんかった? (記者に向き直って)ちゃんとまた説明しますんで」
代表取材の記者(NHK?) 「はい。分かりました~ぁ」
広報担当 「いったんちょっと終わって、帰りましょうか」
取材記者 「はい」

2016年2月29日。
関西電力は、高浜原子力発電所4号機が送電を開始する瞬間をテレビでPRするために、中央制御室にテレビ代表取材のカメラを入れていた。
そのカメラの前で、職員が送電開始のスイッチを入れた途端にけたたましく警報音が鳴り響き、原子炉が緊急自動停止した。
↑上のやりとりは、同日夜の「報道ステーション」(テレビ朝日)で流れた映像の一部をそっくりそのまま文字起こししたものだ。
元北海道新聞社編集委員の上出義樹氏が関電に電話で確認したところ、代表取材で入っていたテレビ局はNHKだという。ということは、この間延びしたような返事をしているのはNHKの記者なのだろう。

このときの様子は近くの会場に集まっていた報道関係者たちに中継されていたが、そこにいた中日新聞の記者は以下のような記事を書いている
 「投入」。29日午後2時1分26秒、高浜原発4号機近くの関西電力原子力研修センター(福井県高浜町)で、報道関係者向けに中央制御室を映した中継映像から声が聞こえた。発送電を行うため、スイッチをひねって電気を流した合図。その直後から「ファー」という音が断続的に鳴り続けた。
 センターで報道陣に作業内容の説明をしていた関電社員は当初、「異常がなくても鳴る警報もあります」と説明。画面の向こうの作業員らも慌てている様子はなかった。
 しかし警報音は鳴りやまない。異変を感じたのは数分後。映像を前に、関電社員二人が耳打ちしながら指をさし始めた。その先には、上部の警報盤に赤く点滅するボタンがあった。
 「トリップ(緊急停止)したようです」「制御棒が落ちて、原子炉が停止しました」と社員は動揺した様子で話した。トラブルの発生に、センター内の空気が一気に張り詰めた。間もなく関電は中継映像を遮断。詳しい説明を求める報道陣に対し、社員は「確認する」と、慌ただしくその場を離れた。
 (2016年3月1日 中日新聞 米田怜央


関西電力社員が「異常がなくても鳴る」と咄嗟にでまかせ説明をしたという部分で、すぐに思い浮かべたのは、2011年3月12日、福島第一原発1号機が爆発したときに、日本テレビのスタジオにいた東京工業大学原子炉工学研究所・有冨正憲教授とアナウンサーとのやりとりだ。
そのときの録画映像を見ながら、一字一句正確に文字起こししてみた↓
有冨教授 「緊急を要したんだろうと思いますが、爆破弁というものを使って、あたかも先ほどの絵じゃありませんが、全体にこう、なんといいますか、あの~、ちょっと、出るような形で……蒸気が、充満するような形で、出てきました」
アナウンサー 「あれは蒸気ですか?」
有冨 「蒸気だと思います。ちょうど爆破されたような形で、あの~、蒸気が……蒸気だと思いますが、出てきましたねえ」
アナ 「これ、あの、我々が見ると本当に心配するんですが、その爆破弁というものを使って蒸気を『出した』……という……」
有冨 「はい」
アナ 「意図的なものだと考えて……」
有冨 「はい。意図的なものだと思います」

このブラックコメディのようなシーンを覚えているだろうか?
よく分かってもいないことに対して平然と無茶苦茶な説明をする「専門家」たち。
そして、それを検証できず、ツッコミもせずにそのまま流してしまう、あるいは隠してしまうマスメディア。
同じことを5年経った今もやっている。何の反省もなく、当時よりも倫理観や責任感がゆるゆるに欠如した状態で。
「原発爆発の日」である3.12が5年目を迎えたのを機に、私たちはこれをしっかり思い起こし、反省しなければいけない。

巨大地震だの津波がまたやってくる可能性がどうのとかいっている前に、最大の危険要因は人間の愚かさだということを認識するべきだ。
チェルノブイリは天災が引き金ではなく、作業員のアホなミスやそれを起こさせた緩すぎる運営体制が原因だった。
今の日本を見ていると、チェルノブイリを起こした作業員たちより現場やトップが優れているだなんて、到底信じられない。
巨大地震や津波が襲ってこなくても、テロ攻撃されなくても、原発を動かしている、動かせている、それを許している、待ち望んでいる人たちがアホなのだから、「アホ」が原因の過酷事故は必ずまた起きる。
いや、アホが原因の事故というよりは、現代社会における原子力そのものが、アホと狂気のハイブリッドシステムというべきだ。

フェイスブックでこんなことを書いている人がいた。
普通のマンションでも40年で建て替えするのに、こんな50年前の時代遅れシステムを世界一安全という感覚自体が狂っている。政府や電力会社だけでなく、再稼働容認した自治体、住民は、万一の事故時には、被害補償放棄のみならず、他地区住民への賠償責任を負う、と法制化すべきだろう。

そう、まさにこの認識こそが重要なのだ。

「フクシマ」はいわば「裏切られた」「騙された」経験だから、原発立地の住民にも賠償するのは当然だと思うが、「フクシマ」を経験した今はもう違う。
「絶対安全」は嘘だった、ひどい運営状態だったことが分かっている。
今なお、「送電開始!」──警報音ファオンファオン……というお粗末を続けているこの国で、それでも原発政策を進めてほしいという人たちは、将来は自らが賠償責任を負う覚悟でそういいなさいね。

……と、これを書いている今は2016年3月11日。
テレビは「あれから5年」的な番組で一日中埋まるのかと思ったら、全然そうでもなくて、相変わらずご当地グルメだの野球賭博だのといった話題に時間を割いていたりする。まさに「5年間の劣化」だ。

せめて、「フクシマ」を地震や津波の被害と一緒くたに語るのはもうやめよう。
1F(いちえふ)が壊れたのは津波のせい「だけ」ではない。地震の揺れでパイプがあちこち寸断され、水が漏れたし、なによりも必要最低限の対策すら怠っていたための電源喪失だった。地震や津波は天災だが、「フクシマ」は完全な人災。 3.11というくくりで地震・津波被災と「フクシマ」問題を一緒くたに扱うことで、「フクシマ」問題の本質がどんどんごまかされてしまう。
よって、「フクシマ」がなぜ起きたのかを反省する日は3.12「原発爆発デー」とでもして、別問題として思いを新たにしたらどうだろう。

で、狂気の政策を続ける政治を容認している国民ひとりひとりも、程度の差こそあれ、このシステムを作り上げてしまった共犯者なのだという自覚を持つ。
まあ、実際には、我々はすでに「フクシマ」の後始末で、少なくとも十数兆円の「賠償」をしている。税金と電気料金という形で。
この「賠償」はこれからもずっと続けなければならない。
そのこともしっかり認識する日が、3.12。
……3.11とは違った恐怖と悲しみに包まれる……。

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福島第一原発は東北有数の「電力消費地」2016/02/17 21:29

「凍土壁には関心ない」と言い放った田中委員長


1Fの「凍土壁」というの、まだやっていたんだなあ。
いくらなんでももうやめているんじゃないかと思っていたのだが、どれだけ税金や電気料金を無駄に使うのか……。
これに関してはどうも「税金を食い物にしたい」というよりも、今の日本、頭悪すぎる人が上にいることの悪夢、なんだろう。
 原子力規制委員会の田中俊一委員長は13日、東京電力福島第1原発を視察した。汚染水の増加抑制策として1~4号機建屋周囲の土壌を凍らせ、地下水の流入を減らす凍土遮水壁も視察したが、「少しばかり水が入るのを減らしたからといって、汚染水問題は解決しない。あまり関心はない」と述べた。
 田中委員長は「処理した水は海に捨てるという持続性のある形をつくらないと、廃炉は進まない」と指摘。汚染水の放射性物質を減らした上で海に放出するよう改めて求めた。
時事ドットコム


言葉を穏やかにしているが「関心ない」というのは「バカじゃないの?」と言っているに等しい。
まともな頭の人ならみんなそう思う。
一体これにどれだけの金を使っているのか。
凍らせるのは電力で凍らせるわけだが、今、1Fの現場では一体どれだけの電力を使っているのか。
東電はそれを公表すべきだ。
「私たちは本来電気を作る施設である発電所の不始末を片づけるために、毎日○○の電力を使用しています。これは一般家庭の使用する電力○○戸分に相当します。その分の電気料金はみなさまからいただいている電気料金に上乗せさせていただいております」
……とね。

こういうことがあと何十年続くのか分からない。多分、何十年では済まないだろう。100年後も、1Fを完全に後始末できているとは到底思えない。
これから先、たとえ過酷事故が起きなかったとしても、原発を動かせば放射性廃物が出続けることに変わりはない。
そして、その処分方法を人類は未だに知らない。


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「美味しんぼ騒動」における本当の恐さ2014/05/19 13:05

巷では「美味しんぼ騒動」というのが起きているようだ。
ネットに全ページを転載している人がいたので読んでみたが、まず、内容としては「つまらない」。
普通のことを普通に描いているだけ。新しい情報やら深く考えさせる題材がないので、感想としては「ああ、この程度か……」というもの。
この漫画、若い頃(20代)に読んでいた時期があるが、まだ続いていたということのほうが驚きだった。登場人物は30年前と同じで歳を取っていないし、サザエさんみたいだ。(これは誉めている)

で、その程度の内容のものに省庁やら自治体の長やらがいちいち「遺憾表明」とかやっていることがものすごく馬鹿馬鹿しい。
ついには休載とか、書店が店頭から引き上げとか、編集部が出版前のゲラを環境省に送っていたとか、漫画の内容云々より、こんなことに大騒ぎした挙げ句、ひとつの方向、要するに「お上はこういう方向を望んでいるのだろう」という方向を「民」が先読みして自縛の紐を用意すること、それを一部の人たちが煽り立てること、そういう国になってしまっていることがとてつもなく恐ろしい。

フェイスブックで、こんな書き込みを見つけた。

うちの近くの大型ショッピングモールの中にある、かなり大規模な紀伊國屋書店に問い合わせました。以下は穏やかなやり取りです。

私「今ビッグコミック・スピリッツは店頭で販売されていますか?」
店「今回の分は売り切れました」
私「売り切れたということは、店頭には並んでいたのですか?」
店「いえ、本社からの指示で店頭には並べませんでした」
私「それは何故なのですか?」
店「それはー…本社からのことなので私が答えられることでは…」
私「ではもう入ってこないのですか?」
店「そうですねぇ…この次のはまた内容次第で販売されるかと…」
私「内容次第とはどういうことですか?それは社内的なものですか?それとももっと上の業界単位のことですか?」
店「社内的なことです」
私「ではそれは全国の紀伊國屋さんで行っているわけですね?」
店「そうです」

巷での噂は本当の様でした。


マスメディアだけでなく、出版社も書店も、自ら進んで自縛の紐を用意する。この風潮がどれだけ恐ろしいことか、関心を寄せない人が多すぎることにも戦慄する。

「美味しんぼ騒動」を「鼻血問題」として矮小化する人たちが多いが、問題はそっちじゃない。自分の考えや、お上に都合の悪い情報を自ら引っ込めてしまう社会風潮のほうがはるかに恐ろしいことなのだ。

ちなみに「鼻血問題」に関して言えば、そんなことは「あってもあたりまえ」であって、科学的に立証できるとかできないとかを今頃になって議論するようなことでさえない。
敢えて言えば、汚染された地帯で暮らす人、あのとき汚染された地域にいた人、汚染された場所に行き来している人たちであれば、「まあ、そういうことはあるわな」という感覚だろう。
僕もそのひとりだ。

鼻血までいかなくても、鼻孔に鼻くそがすぐに詰まったり、それに血が混じったり、痰が止まらなかったり、喉が常にいがらっぽくなったり、痛んだり……といったことは「フクシマ」以降、さんざん経験してきたし、今もしている。
でも、それが鼻や喉の粘膜に付着した放射性物質(のついたチリ、微粒子)のせいなのか、単に歳を取ってきて身体がボロくなったからなのか、疲れのせいなのか、ウイルス感染の類なのか、放射能とは別の公害物質のせいなのか……は、分かるはずがない。自分で「そうかもしれないなあ~」と思うことがあっても、「そうなんだ!」と断言することなどできるはずがない。

みんなそういうもやもやを抱えながら生きている。
このもやもやは明らかに生きていく上で心身をまいらせるマイナス要因なのだが、かといって、今暮らしている土地や家を捨ててどこか遠くへ移住するとかという話と比較して、どちらが自分の余生、あるいは家族の幸福な人生にとってマシな選択か……という事情は、個人によって変わってくる。
その土地で築いてきた人や自然とのつながり、生き甲斐のある活動、仕事、親や子供との関係……さまざまな要素を統合的に考えて、もやもやを抱えたままでもこの土地に残ったほうが、移住するよりも「マシ」だと考えるか、どんなに困難を伴ってもこの土地を離れたほうがいいと考えるか……。

で、こういう事態にしてしまったこの国の施策、電力会社の無責任さ、それを今も放置し、なんら改善の努力もしないどころか、開き直って、核燃サイクル計画の継続だの原発再稼働だの輸出だのとたわけたことを言っている政府を支持している国民が半数を超えるという現実。そこがいちばんの問題なのだ。

それでも「真実は……」と叫ぶ人がいっぱいいるので、敢えて、敢えて、敢えて引用すれば、
鼻血論争について     2014年5月14日
         北海道がんセンター 名誉院長  西尾正道
巷では、今更になって鼻血論争が始まっている。事故後は鼻血を出す子どもが多かったので、現実には勝てないので御用学者は沈黙していたが、急性期の影響がおさまって鼻血を出す人が少なくなったことから、鼻腔を診察したこともない放射線の専門家と称する御用学者達は政府や行政も巻き込んで、放射線の影響を全否定する発言をしている。
しかし、こうしたまだ解明されていない症状については、根源的に物事を考えられない頭脳の持ち主達には、ICRPの基準では理解できないのです。ICRPの論理からいえば、シーベルト単位の被ばくでなければ血液毒性としての血小板減少が生じないので鼻血は出ないという訳です。
しかしこの場合は、鼻血どころではなく、紫斑も出るし、消化管出血も脳出血なども起こります。しかし現実に血小板減少が無くても、事故直後は鼻血を出したことがない多くの子どもが鼻血を経験しました。伊達市の保原小学校の『保健だより』には、『1学期間に保健室で気になったことが2つあります。 1つ目は鼻血を出す子が多かったこと。・・・』と通知されています。またDAYS JAPANの広河隆一氏は、チェルノブイリでの2万5千人以上のアンケート調査で、避難民の5人に1人が鼻血を訴えたと報告しています。こうした厳然たる事実があるのです。
(以下略)

……とまあ、そういう話だろう。

それにしても、いまだに外部からの低線量被曝と内部被曝の違いが分かっていないまま議論している人が多いことには辟易する。
さらには、内部被曝でも、食べ物として取り込んだ場合(比較的排出しやすい)より、放射性物質が付着したチリ、埃などの微粒子を吸い込んで、それが肺などに付着したとき(ピンポイントで放射線を受け続ける)のほうが怖い、ということを、3.11直後からずっと言い続けているのだが、そのこともいまだに理解してもらえない。
「除染が怖い」というのはその理由からだ。
せっかく付着してくれている放射性物質を無理矢理剥がして、再び空気中や水中にまき散らしている作業。
1F構内で作業している作業員が「線量管理しているここの仕事より、いい加減にやられている除染作業のほうがずっと怖い」と言うのもある程度頷ける。
僕が川内村を離れたのも、除染作業が始まる直前だった。
県道をひっきりなしにダンプカーが通り、もうもうと砂塵をあげるようになり、この調子で本格的に「除染」が始まったらたまらないな、と恐怖を感じた、というのもひとつの理由だった。

例えば、舗装道路の表面を削って「除染」するなどというのは、付着している放射性物質を細かい粉塵にくっつけたまま再び飛散させることで、恐ろしい作業だと言える。やるのであれば、剥がすのではなく、上からさらにアスファルトを被せてコーティングしてしまったほうがいいのではないか。
また、生活道路で舗装されていない道は、いつまでも放射性物質が土埃、砂埃についたまま舞い上がる環境なので、舗装してくれないと困る。
我が家の前の道を含め、今住んでいる住宅地の中の道路はすべて私道のため、未舗装(正確には造成時の舗装工事が甘かったのですぐに剥がれて土が剥き出しになった)なのだが、そこをもうもうと土埃を巻き上げながら車が通り、小さな子供たちがそれを吸い込んでいる(背の低い子供は大人より土埃を吸い込みやすいのは言うまでもない)。私道であるために土地の所有者全員の了解がとれないと舗装ができないとかなんとか。そうしている間にも、子供たちは放射性物質を含んだ土埃を吸い込み続けている。

鼻血の原因が何か、とか、風評被害だのなんだのと騒ぐよりも、合理的な判断で、費用対効果の大きな対策を安全に、効率的にしていくこと。そういう「今より少しでもマシな方向」に動くことが行政や国の使命だろうに。
現環境相などは、なんにも分かっていない。発言が馬鹿丸出しだ。

最後に、これは以前にも紹介した気がするのだが、もう一度思い起こすために……。
■水俣と福島に共通する10の手口■
  1. 誰も責任を取らない/縦割り組織を利用する
  2. 被害者や世論を混乱させ、「賛否両論」に持ち込む
  3. 被害者同士を対立させる
  4. データを取らない/証拠を残さない
  5. ひたすら時間稼ぎをする
  6. 被害を過小評価するような調査をする
  7. 被害者を疲弊させ、あきらめさせる
  8. 認定制度を作り、被害者数を絞り込む
  9. 海外に情報を発信しない
  10. 御用学者を呼び、国際会議を開く
水俣病と異なる点―今はインターネットがある

「小保方事件」スマートガイド2014/04/12 22:48

小保方事件の読み方

「小保方事件」は、マスメディアの騒ぎ方が馬鹿なので、多くの人は「くだらん」と唾棄しているけれど、こないだの佐村河内事件に比べると、ずっと複雑で、興味深い。小説家的には、想像を超えていろいろなことを考えさせられる事件になってきた。
小保方さんのかなり特異なキャラクターと能力、昔からある利権と権力欲、成功への怨嗟などが渦巻く闇世界、その「業界」の中における生命倫理と哲学の欠如、現代デジタル文明がもたらした薄っぺらな慣習(コピペだのレシピだの)に人間が慣らされてしまっているという恐さ……ものすごくいっぱい、違う種類の要素がごった煮になったような事件だ。
僕自身、解釈が二転三転したが、現時点で簡単にまとめると……
  1. 業界(生化学、遺伝子工学、医学界)の中ではすでに真相はほぼ把握できている。今回の騒動は誤認と不正が絡み合ったお粗末な論文が「NATURE」に発表されたというだけの事件。医学的に意味のあることではなかったという結論
  2. 小保方さんが「STAP細胞」と主張しているのは、単なる誤認。それを自分で強く信じ込むところから、都合の悪いものを次々に書き換えたりすり替えたりして、ひどい論文ができあがってしまった。監督する立場の副センター長や、検証作業に協力した第一線の著名研究者もみんな、まさか「インチキデータ」だとは思わなかった
  3. あまりにもお粗末でとんでもない内容だったので、理研は権威失墜、メンツ丸つぶれを畏れて、すっきり説明したがらない(理研が追試するというのも、事実上はゼロからやり直して、何かこれに代わるものを発見・申請したいというかすかな希望からのことだろう)
  4. しかし、小保方さんはただの「おっちょこちょいで未熟で常識を持たないまま育ってしまった研究者」というだけでなく、他人(特に中年男性)を取り込む能力に長けた特殊な才能と(容貌を含めた)個性を持っていた。これがさらに事態を迷走させた

……と、まあこんなところだろう。
彼女が何をしたのか、については、藤沢数希氏がブログに連投している内容が概ね当たっているのだろう。
小保方晴子が200回成功したと言っているのは、このOct4-GFP発現のことだ。これ以外に、あの期間に200回以上できる実験はない。そして、この点に関してだけは、僕は彼女は正直であった、と信じている。
小保方晴子はOct4-GFP発現を観察して、STAP細胞ができたと思い込んだ。PhDを持っておらず、細胞生物学に詳しくない、基本的には医者のハーバード大のバカンティ教授も、これでSTAP細胞ができたと思った。この有望な実験結果に、共同研究者たちは彼女に称賛を送った。しかし、これは見せかけの発光である。実際に、iPS細胞のように初期化が起こったわけではない。これは万能細胞ではないから、テラトーマはできないし、キメラマウスもできない。
「謎はすべて解けた!! それでも、STAP細胞は捏造です」藤沢数希

フェイスブックでいろいろ教えてくれる人がいて、僕もちょこちょこ調べてみたのだが、STAP細胞の特許申請にある「発明者」は、Charles A. Vacanti, Martin P. Vacanti, Koji Kojima, Haruko OBOKATA, Teruhiko Wakayama, Yoshiki Sasai, Masayuki Yamato となっていて、筆頭はバカンティ兄弟。
出願者は The Brigham And Women's Hospital, Inc., Riken, Tokyo Women's Medical University。
バカンティ兄弟は以前から持っていたSTAP細胞の「アイデア」をなんとか実証して特許申請したかった。しかし、その技術や実力がないから、他の研究者にやらせて、その成果に乗っかるしかない。
理研は、この分野で京大や東北大に先を越されてしまったという焦りがあった。エネルギーのある小保方研究員は、「ひょっとしたら万馬券になるかもしれない」カードとして動かしていた
そうした背景があって、小保方晴子という、一筋縄ではいかないというか、普通の人の理解を超えた個性と馬力を持った女性が実際に動き、しかし、これまた普通には理解しがたい行動をしてのけた。
……ということなのだろう。

この特許申請は「すでに別の研究成果が申請されていて、それ以上の新規性が認められない」という意見がつく。その「別の研究成果」というのは、東北大学の出澤真理教授らが発見した「ミューズ細胞」
ミューズ細胞発見のいきさつは、⇒ここにインタビュー形式で出ている。なかなか興味深い。
2003年のことです。いつものように骨髄間葉系細胞を培養していると、汚い細胞塊ができていることに気が付きました。テクニシャンの方から、「この細胞は汚いので捨てましょう」と言われたのですが、よく見ると、ES細胞の胚葉体に似ていて、毛とか色素細胞などが混じった細胞塊でした。そこで捨てないでちょっと調べてみますと、中には3胚葉性の細胞が混在していたので、これはもしかしたらES細胞に似たような性質の細胞が、天然でヒトの骨髄などにもあるのではないかと考えるようになったのです。ただし、ES細胞は腫瘍性の増殖を示しますから、培養していれば無限に増殖をしますが、この細胞塊は数日増えて一定の大きさになると増殖が止まってしまう傾向がありました。ですから、似て非なるものかなとも思っていました。

そこでもしもヒトの骨髄間葉系細胞にこのような多能性幹細胞があるとして、どうやってその細胞を同定できるのか、実験をしましたが、一向に結果が出ませんでした。試行錯誤の日々が続きましたが、2007年ごろ、あることがきっかけで多能性細胞の同定に結び付く足掛かりを得ました。
その日私は、骨髄の細胞を株分けするために、トリプシンという消化酵素をかけて処理していました。その最中に、共同研究者の京都大学大学院理学研究科の藤吉好則教授から、飲みに行こうと電話がかかってきました。そこで、急いで出かけなくてはと思って、大変な間違いをしてしまいました。株分けした細胞を血清の入った培地に入れたつもりだったのが、再びトリプシン消化酵素を入れてしまい、飲みに出かけてしまったんです!

翌日、培養室に戻ってきたら、普通は培地がピンクなのに黄色なんです。細胞は消化酵素の中に12時間以上漬けられていたためほとんど死んでしまっていました。ショックでしたねえ。ただ捨てる前にもう一度チェックする癖があって、のぞいてみたら、わずかに生きている細胞がいたんです。なぜこの細胞は生きているんだろう、なにか発見できるかもしれないと、ダメでもともとと遠心分離器にかけて集めた細胞をゼラチン上で培養したところ、多能性幹細胞だったんです。 共同研究者の藤吉教授とこの細胞を「Muse(ミューズ)細胞」と名付け、2010年4月に発表したところ、「第3の多能性幹細胞」などとマスコミでも取り上げられました。
(この人に聞く 「生命に関わる仕事って面白いですか?」 がん化の可能性が低い多能性幹細胞「Muse細胞」を発見 東北大学大学院医学系研究科 出澤真理教授)
ちなみにこのインタビュー記事の最後には、こんな言葉がある。
私は大学受験をするときに、予備校にも、塾にも行っていません。全部独学で勉強しました。 受験というのは、答はもう決まっていることを勉強することですね。それなのに、他人から解答を導くためのノウハウまで教えてもらっているようでは、とてもクリエイティブな仕事はできません。
私たちの研究は、必ずしも答がないもの、道筋のないものを、自分で道筋をつくり、答をつくりださなければなりません。答がないから、方法がないから研究するんです。
まさに「先輩」が後輩に贈る言葉。

ちなみにMuse細胞発見を報告した2010年4月というと、3.11の1年前だが、僕はこんなニュースがあったこと、記憶にない。
もし出澤教授が小保方さんのように若くて一種コケティッシュな魅力を秘めた容貌と個性の持ち主だったら、マスメディアは今回の「割烹着のリケジョ」と同じように騒ぎ立てたに違いない。

で、まあ、メディアが「割烹着のリケジョ」と大々的に持ち上げたところまでは想定内というか、「ああ、またテレビがやっているよ」と思ったわけだが、彼女がそれを超えた役者だった(女優を超えた女優と評した人もいたし、「女子力がすごい」と論じた人もいた) ことはちょっと予想できなかった。そこにみんなびっくりしたわけだ。

小保方様
この際、余り勝算はなさそうだから、科学者タレントになって化学の普及に活躍して欲しい。そして東電に付いて居る科学者の事実隠匿問題とか暴いて欲しい。
あなた達!私をあんなに持ち上げておいてふざけんな!
とか居直ってその実力を使って欲しい。
何故なら
  1. これ程化学についての老若男女を問わずの国民的興味を作った人物は日本の近代史上稀な人物である。
  2. 化学実験を崇高な世界から「レシピ」だの「コツ」だのと調理感覚にし、
  3. コピペの世間風潮をこれだけ堂々とやった上、問題をあぶり出した功績は大きい。
  4. STAP細胞に対する想いに、思い込みこそ大切と教えてくれる
  5. 日本社会の構造的な利権、科学者間の確執、 伝統的組織保持の様子を炙り出した。
  6. ビジュアルがかわいい。
何処かのプロモーターとか動いてないかな?
オバちゃんはそう思います。
(舛田 麻美子さんのFBの書き込み)

これなどはかなり好意的な見方。
原発関連の事実隠蔽を暴くのはちょっと畑違い、能力違いのような気もするが……。
というより、彼女の能力は自分を弱者の立場に置いて表現するときに発揮されるので、原子力ムラ相手の正義のリケジョという役割は担えそうもない。やれるとしたら、潜入捜査官みたいに、ムラの中に入り込んで、魔性の女と呼ばれながら次々に政治家や官僚や企業経営者を籠絡して……って、どんどん小説的な妄想が膨らむばかりなので、やめておく。

かと思うと、全然別の視点を提示している人もいる。
部分を取り出して、その振る舞いを研究したり解釈することは可能だろう。しかし、その部分が全体とどう関わっているか、わからないことが多い筈だし、それがたとえ90%わかるにしても、残りの10%、いやたった1%の不明瞭なものによって大逆転されるということが、可能性としてあり得る。100%大丈夫ということは、あり得ないのだ。ゲームの世界でも、9回の裏、ツーアウトから逆転されることはあるだろう。問題は、勝ち負けのことではない。原子核や細胞に手を出すことは、大逆転された時の禍いが、想像を絶するスケールに広がる可能性があるということだ。原発の被害は記憶に新しいが、生命の化け学の場合も、おそろしいウィルスを作り出してしまう可能性だってある筈だ。
(「悪意があるかどうかではなく、畏れがあるかどうか。」 佐伯剛)

そう。まさにこれ↑ この「畏れ」の感覚がなくなって、ゲーム感覚で世界の深みを理解できると信じて疑わない人たちが出現している。
医学、生命科学、原子核関連の研究分野だけではない。国を運営する経営学や財務といった分野も、人間社会を根底から変える可能性を持っている。そういう現場で、コピペだのフォトショで切り貼りだのパワポのデータがとっちらかっただのというレベルの問題としてしか物事を考え、処理できない人が出現してきている……ということを知らしめる戦慄すべき事件、それが小保方事件だった、ということは言えるかもしれない。
世の中が「おぼちゃんかわいそう。頑張って!」などとやっている間に、憲法は権力者が解釈の仕方を変えれば運用も変えられるんだなどというトンデモな人物が、まだ暴走をやめていない。メディアもますます大政翼賛体制を固めている。
小保方事件はネットが「エラー訂正機能」を発揮したと言われているが、残念ながら、政治家や官僚のエラー訂正にはほとんど力を発揮していない。
それはネットの責任ではなく、小保方事件を下世話な興味と勘違いした優越感や怨嗟レベルでの娯楽としてしか楽しめない人びとの責任だろう。

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