20km圏を危険区域指定した政府の犯罪2011/04/22 15:52

放射能汚染状況はこんなにばらついている

20km圏内一律を「警戒区域」指定した国家犯罪

上の図は、昨日(4月21日)に発表された最新版の放射線量測定マップです。
この図を見ても分かるように、3月15~16日の放射性物質大量漏出(主に2号機から。3号機、4号機からのも加わった)で、汚染されてしまった地域はほぼ固定しています。放射性ヨウ素(半減期8日)はすでにほとんど消えているはずなので、今放射線を出しているのはセシウムが主体でしょう。ストロンチウムもあるかもしれませんが、だとすれば相当恐ろしいことです。
図中、1マイクロシーベルト以上のポイントはピンク、2マイクロシーベルト以上のポイントはオレンジ色で示しました。
逆に、20km圏内でも1マイクロシーベルト未満のポイントは緑色で示してあります。
これを見れば一目瞭然ですが、放射能汚染の度合は距離と連動していません。これはとっくに分かっていることです。
いちばんひどい漏出のときにたまたま吹いていた風、そして降り出した雨によって決まってしまったのです。結果、飯舘村や浪江町津島周辺がひどい汚染を受けましたが、これはたまたまそのときの気象条件による結果であり、条件次第では首都圏が同じレベルで汚染されていた可能性もあるのです。

もちろん、今も放射性物質は出続けていますし、今後も3月15~16日のような、あるいはもっとひどい濃度の放射性物質の大量空中放出が起きないとは言いきれません。そのための警戒区域指定だと政府は言うのでしょうが、そうした危険性は、距離では決まりませんし、爆死の危険とは違いますから、万が一起きてから行動しても遅くはありません(政府が情報を隠さない限り)。
そもそも、避難しろと言うのであれば、飯舘村や津島の人々をもっともっと早く移動させていなければなりません。今頃何を言っているのでしょうか。

ちなみに、私の住む川内村には、役場前(第一原発から22kmくらい)と、複合医療施設「ゆふね」(同19kmくらい)の二か所に定点計測器があり、毎日、放射線量を記録しています。ここ数日の結果は、

■ 測定地:川内村役場
(測定日時/測定値)
4/13 17:00/0.30マイクロシーベルト/h
4/10  9:30/0.34マイクロシーベルト/h
4/08 13:00/0.38マイクロシーベルト/h
4/06 12:30/0.39マイクロシーベルト/h
4/04  6:00/0.45マイクロシーベルト/h
4/03  9:30/0.46マイクロシーベルト/h
4/02 12:30/0.47マイクロシーベルト/h
4/01 11:00/0.51マイクロシーベルト/h

■測定地:ゆふね
(測定日時/測定値)
4/13 17:00/0・97マイクロシーベルト/h
4/10 13:15/1.03マイクロシーベルト/h
4/08 12:50/1.09マイクロシーベルト/h
4/06 12:20/1.15マイクロシーベルト/h
4/05 14:00/1.17マイクロシーベルト/h
4/04 11:00/1.25マイクロシーベルト/h
4/03  9:00/1.25マイクロシーベルト/h
4/02 11:30/1.30マイクロシーベルト/h
4/01 14:00/1.34マイクロシーベルト/h


……となっています。

4月14日以降のデータがまだ掲載されていませんが、文科省のモニタリングカーによる計測では、役場のそばで4月21日10時58分に0.6マイクロシーベルト/hでした。
今週の風(主に海側から吹きました)と雨で少し増えていますが、それでも1マイクロシーベルトには達していません。

一方、文科省のモニタリングカー調査最新版(21日夜発表)によれば、

福島市杉妻町(約60km北西) 1.8マイクロシーベルト/h
伊達市霊山町石田彦平(約45km北西) 2.9マイクロシーベルト/h
郡山市大槻町長右エ門林(約55km西 1.2マイクロシーベルト/h
郡山市豊田町(約60km西) 1.7マイクロシーベルト/h

……などなど、30km圏外の都市部のほうが川内村より高い数値を記録しています。
放射能汚染の危険性という観点からは、20km圏内一律立ち入り禁止措置にする理由はまったくありません。
肝心の20km圏内エリアでの放射線量測定値を、政府はずっと発表しませんでした。発表したのは、20km圏内を危険区域にしてからです。こんなバカな話がありますか。
そのデータ(⇒ここ)によれば、案の定、ものすごくばらつきがあります。
原発から6~9km圏内という非常に近いエリアでも、

80 浪江町大字酒井【北西約7km】 2011/4/18 12:45  20.0μSv/h
81 浪江町大字高瀬【北北西約8km】 2011/4/18 12:51  0.55μSv/h
82 浪江町大字藤橋【北約8km】 2011/4/18 13:31  0.86μSv/h
83 浪江町大字幾世橋【北北西約9km】 2011/4/18 13:48  0.60μSv/h
84 浪江町大字高瀬【北北西約6km】 2011/4/18 13:56  0.93μSv/h

……などとなっていて、6kmの近さでも1マイクロシーベルト以下、つまり福島市や郡山市以下のところがあります。この事実を知られると、20km圏内危険区域指定の正当性がないことがはっきりするために隠していたとしか思えません。

そもそも20kmで線引きするといいますが、どこから20kmと言っているのかが不明です。第一原発の敷地は広いのです。端から端まで数キロあります。敷地境界線から20kmを指定するなら、その区域は正確な円形になりません。ここが原発の中心点ですという杭が打ってあるわけでもないでしょう。かなりいい加減なのです。
実際には、幹線道路の適当なポイントに警官を配備して立ち入り禁止にしています。ちょうどこのへんに交差点があるから、ここの内側ってことにしよう……というノリなのですね。しかも、抜け道も通れないようにと、すでにバリケードを築いています。

私の住む川内村の場合、下川内交差点(国道399号が県道36号小野富岡線にぶつかる場所)がチェックポイントで、ここから富岡側を20km圏内と決めたようです。
川内村は、この20km圏危険区域指定により、村が分断されてしまいました。
主な施設では、「いわなの郷」という村内最大の複合施設(宿泊施設、食堂、会議室、多目的ホールなどがある大きな施設)と複合医療施設「ゆふね」が20km境界線ぎりぎりに引っかかって立ち入り禁止にされました。
家に戻ってきた村民にとって、この2つが使えないことは大きな痛手です。特に「ゆふね」は最新医療施設であり、大量の医薬品や医療検査機器があります。血液検査などもその場でできるくらいの新しい施設です。ここが使えないとなると、医師がボランティアを名乗り出ても働く場所が封鎖されていて活動ができません。
ゆふねの放射線量は福島市や郡山市となんら変わらず、危険性はまったくありません。逆に、村唯一の医療施設を封鎖されることによる危険は計り知れません。村に戻っている家の多くは、老人がいるために避難所生活が続けられないということで戻っているのです。独居老人も多く、彼らにとっては「ゆふね」を奪われることは命綱を切られるのと同じです。

また、村を再興するためには外から様々な人材を呼び込み、イベントを開催したりすることが重要になってきますが、いわなの郷が使えないとそれも難しくなります。ここには大きなイワナの生け簀がありますが、その管理もできなくなります。
20km境界という意味のない線引きをすることで村の機能を寸断し、復興を困難にさせることに、なぜ村長が同意したのか、理解に苦しみます。
双葉郡町村連合のリーダーとして「抜け駆け」できないという思いからか、県や国から交換条件で密約を持ちかけられたか、あるいはその両方でしょう。しかしこの判断は、村に後々ダメージを与える大きな傷を作ってしまいました。
このままなし崩しに「原発汚染地域被害者同盟」に加わり、自力復興の意欲を押さえ込み、ひたすら補償金を待ち続けるみじめな自治体になりはてることは目に見えています。今まで以上に原発依存体質が強化され、原発抜きでは何もできない村になりかねません。
村の機能ごと避難所に移転し、村長はじめ、スタッフがみな相当疲れていることはよく分かります。政治的判断が難しくなっていることも分かります。しかし、今が正念場です。ここで判断を間違えると、それこそこれから100年、間違いを修正できなくなるかもしれないのです。

国や県には、もはやこの事態を正しく収拾・解決する能力がないのです。
いわば平時は終わり、戦時になったのですね。
放射性物質という爆撃からいかに身を守りながら生活していくか、結局のところ、自分で決め、行動していくしかありません。

今回のことでいろいろ勉強させられましたが、いちばん驚いたのは「~なんて放射線量は全然大したことがない。米ソ中が核実験していた時代にはもっとずっと高い数値でプルトニウムもセシウムも、ストロンチウムでさえ世界中にばらまかれていたのだから」という「専門家」の弁でした。
……本当なのか、調べてみました。

気象研究所地球化学研究部というところが、1950年代後期から40年以上にわたって大気圏での人工放射性核種の濃度変動の観測をしていて、データが公開されています⇒ここ

このグラフは衝撃的ですね。
縦軸の数値が等比ではないことに注意してください。左には10の階乗が記されています。
10の2乗レベルの2000年前後と10の5乗レベルの1960年代では1000倍違います。等比で描けば、極端な上下になるためにこういう階乗目盛りのグラフにしているわけです。

1000倍違うということは、マイクロシーベルトがミリシーベルトに変わるのと同じレベルで変動したのです。
あの時代(1960年代)、毎日土の上を走り回って遊んでいた我々は、すでにとんでもない内部被曝をしていることでしょう。

「Fukushima」以降、原発周辺に住む人間が一般人の年間被曝量基準値1ミリシーベルト以下で暮らすことは無理になりました。これはいい悪いではなく、現実です。
であれば、あとは実際に自分の生き方をどう決めるかという問題になってきます。
今回の放射能ばらまき事件(事故ではなく、犯罪事件)の犯罪者であるお上や御用学者たちに、我々の生き方まで邪魔してほしくありません。
人の家に勝手に下痢ウンコをばらまいておいて、自分たちは臭いからとそこに近づこうともせず、「おまえんちはウンコまみれだから、もう使えないぜ。近づいたら罰金だぜ」と言っているわけです。なんとタチの悪い犯罪者どもでしょう。説教泥棒よりはるかにタチが悪い。

ウンコをばらまかれても、我々は死にません。ウンコが臭いから土地を捨てるなんてこともしません。
いや……ウンコは土が分解してくれますが、あいつらがばらまいたのは分解不能な毒物。
これがただのウンコだったらどれだけよかったことか……。

来週、村に戻ってきた人間が集まり、これからどう生きていくかについて話し合います。
私の中での結論はもう出ています。
「今まで通り、楽しみながらここで暮らす」
です。
一緒に遊びたいと思うかたは、川内村にどうぞ引っ越してきてください。
土地はいっぱいあります。自分で食べるくらいのコメを作るのもよし、毎日木工に明け暮れるのもよし、ムササビ用の巣をかけて観察するのもよし……楽しいですよ。ほんとうに。
私はカエルやオタマとの遊び方をお教えします。

山からは風車の低周波、海からは原発の放射能。誰がそんなとんでもない村に行くかと言われそうですが、今のところは大丈夫。地震のおかげで風車は止まりましたし、原発もこのまま収束していけばなんとかなるでしょう。あの地震でさえびくともしなかった固い岩盤に守られた村です。地下水汚染さえ起きなければ、東京よりずっと安全ですよ。
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
核実験による汚染状態はあのチェルノブイリ以上だった

(2011/04/22夜 追記)
先ほど、「ゆふねといわなの郷を区域外にするために、オフサイトセンターに交渉して検問所を移動させた」という情報が入りました。まあ、その程度のいい加減さでやっているのですから、他のところでもどんどん現状に合わせてほしいものです。(それにしても、オフサイトセンターが検問所の場所決定に関係していたとは知りませんでした……)
(2011/05/29 追記)
メールで、
//いま産経新聞あたりがしきりに主張している「1960年代の方が、現在よりも放射性降下物は多かった」。 これは、典型的な(極めて悪質な)数字のトリックです。//
……というご指摘をいただきました。
私は産経新聞の記事は読んでいません。上記の内容を書いた4月22日の時点では、大きなメディアには記事として出ていなかったのではないかと思います。
1960年代、この世界がかなりの放射能汚染をしていたことは間違いないでしょう。しかし、このときと福島原発事故後の汚染度合が似たようなものだ、……とはなりません。
気象研究所によれば「米ソの大規模実験の影響を受けて1963年の6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2、137Cs 約550 Bq/m2)、その後徐々に低下した」とあります。過去の「月間」最大値がセシウム137で約550ベクレル/m2であれば、文科省が発表した「3月22日に東京に降下したセシウム137は5300ベクレル/m2」は、1日の降下量が、過去の「月間」降下量最高値のざっと10倍ということになり、「今(福島の事故後)と同じレベル」とは到底なりません。
また、5月6日に発表されている「文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングの測定結果」によると、原発から北西に延びるホットポイントにおける4月6日~29日までの24日間のセシウム137蓄積量は、300万~1470万ベクレル/m2という桁違いの数値です。これを60年代の核実験時代と比較しても意味がないことは明白です。

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