今こそ読んでおきたい「原発震災前の文章」2011/05/02 21:18

このゴールデンウィークが明けると、もうすぐ原発震災から2か月になります。
連休中、あまり遠出もしないで家で読書……という人も多いかと思いますので、ネット上で読めるいくつかの読み物をご紹介します。
すべて、過去において原発震災への警告を発していたり、原子力を国策として推進することの根本的な間違いについて指摘したものです。以下の各タイトルをクリックすると読めます。


●『原発事故──その時あなたはどうするか!?』(日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会・編、1989年、合同出版)
 ……執筆・編纂したのは、森茂康九州大学名誉教授をはじめ、九州大学、九州工業大学、佐賀大学などの7人。
 20年以上昔に書かれたものですが、現在福島第一原発で起きている原発災害にそのままあてはまる内容です。今読むと、なぜこうした真摯な警告を生かせなかったのかと、改めて残念に思います。

//原子力発電所に事故が起きて放射能が漏れるような事態になったとき、国および地方自治体(知事や市町村長)には住民を被害から守る責任があります//
 ……という書き出しで始まるこの本は、「原発事故が起きたらどうすべきか」「原発事故とはどのようなものか」「放射線障害とはどのようなもので、どうすれば身を守れるか」「原発重大事故はどのようにして起こりうるか」「原発事故に対する法整備の提言」という内容を70ページ弱に収めてあり、非常に読みやすく、分かりやすい説明には感心させられるばかりです。
「あとがき」は、奇しくもこのように結ばれています。

//本書を作成する作業を進めている間にも、原発事故をめぐるさまざまなニュースが入ってきました。その中でも、福島原発の再循環ポンプの羽根の破損事故に際して警報が鳴っているのにそのまま運転を続けた、というニュースに、私たちは戦慄をおぼえると同時に、本書を作成する意義を重ねて確認することにもなりました。しかし、私たちは、本書が実際に使われるような原発事故がけっして起こらないことを願っています。//

●原発震災 ~破滅を避けるために (石橋克彦、『科学』(岩波書店) Vol.67, No.10 1997年10月号)
 …… 今年の流行語大賞候補にもなりそうな「原発震災」という言葉を、おそらく日本で初めて使い、警告を発した文章。筆者は神戸大学名誉教授(地震学、震災論)
 同じ石橋克彦氏の文章として、

●「原発に頼れない地震列島」(『都市問題』(東京市政調査会) Vol.99, No.8 2008年8月号) 

●迫り来る大地震活動期は未曾有の国難-技術的防災から国土政策・社会経済システムの根本的変革へ-
 ……第162回国会衆議院予算委員会公聴会(2005年2月23日)での公述の様子を収録

 も併せてどうぞ。

●原発がどんなものか知ってほしい (平井憲夫)
 ……「私は原発反対運動家ではありません。二○年間、原子力発電所の現場で働いていた者です。原発については賛成だとか、危険だとか、安全だとかいろんな論争がありますが、私は「原発とはこういうものですよ」と、ほとんどの人が知らない原発の中のお話をします。そして、最後まで読んでいただくと、原発がみなさんが思っていらっしゃるようなものではなく、毎日、被曝者を生み、大変な差別をつくっているものでもあることがよく分かると思います」
──と始まるこの文章は、一級プラント技能士の資格を持ち、実際に日本国中の原発建設現場で作業を指揮してきた人の「遺書」です。平井氏は1997年1月、癌で亡くなりました。

●終焉に向かう原子力と温暖化問題(京都大学原子炉実験所 小出 裕章、2010年1月)
 ……還暦を超えていてなお肩書きは「助教」(かつての呼称なら「助手」)。反原発を貫き、長いことメディアからも抹殺されていた「原子力の専門家」が福島原発事故が起きる前年に淡々と述べた、非常に読み応えのある文章。
CO2温暖化説の嘘についても、はっきりと告発しています。
//一番ひどい主張は、二酸化炭素の放出を減らすためには、化石燃料への依存をやめ、二酸化炭素を出さない原子力に切り替えなければいけないという宣伝です。今日の報告はそれが如何にでたらめかを述べるものですが、現在の二酸化炭素悪者説には、それだけでないたくさんの嘘があります。まず、地球温暖化の原因は多様であり、二酸化炭素だけが原因ではありません。そして本当に大切なことは、生命環境を守るためにはエネルギー浪費を減らすことこそ必要なのに、それがむしろ見えなくされてしまっています。//

「ウラン残土すら始末できなかった日本」という話も非常に参考になります。

歴史に学ぶ原発誘致と放射能汚染の真実2011/05/05 22:11

築地市場にある「マグロ塚」
「東京の『現在』から『歴史』=『過去』を読み解く─Past and Present」というブログが注目されています。
ブログの筆者は中嶋久人さん。1960年生まれ。1996年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。現在、館林市史編さん専門委員会専門委員……というProfileのかたです。
原発震災以降は原発を歴史的に見直す試みが続いていて、大変に読み応えがあります。時間がある人はぜひ直接読んでいただきたいと思いますが、時間のない人のため、というよりも、川内村に住む自分のための忘備録的に、「阿武隈日記」(表日記)に一部を抜粋させていただきました。
時間のないかたはこちら⇒をどうぞ

☆写真の「マグロ塚」も、中嶋久人さんのブログから転載させていただきました。

川内村は放射能汚染を免れた「奇跡の村」だった2011/05/15 17:08

放射能汚染を免れた「奇跡の村」川内村
5月10日、日本全国のテレビのトップニュースで、我が川内村がとりあげられた。
政府が福島第一原発から20km圏内を一律に「警戒区域」として指定したので、4月21日以降、一切立ち入りができなくなってしまった。「救済策」として2時間だけ家に戻ることを認めるとした「一時帰宅」が始まり、その第一陣がここ川内村で始まったからだ。
住み慣れた家に、大袈裟なタイベックスーツを着せられ、放射線線量計とトランシーバー、70cm四方の透明ビニール袋を持たされての帰宅。この理不尽極まりない光景を中継しようというテレビが村に集まってきて、役場裏手は駐車スペースがなくなるほどだった。
テレビではあらかじめ演出を考えられていたかのような映像が映し出されていたが、我々川内村に今も暮らしている住民はみんな知っている。20km圏内であっても、タイベックスーツなど必要ないほど汚染が低いことを。
上の図(クリックで拡大)は、文科省とアメリカエネルギー省が合同で作成した「汚染マップ」だが、これが驚くほど正確であることを、線量計を持って現地を走り回っている我々はすでに知っている。川内村の中心部は郡山市や福島市よりずっと汚染が薄い。浜側の一部にやや線量が高いエリアがあるのだが、それとて、30km圏外の浪江町津島近辺などに比べたらずっと低い。ここにタイベックスーツで入っていかなければならないとしたら、福島市街を歩いている人たちは全員タイベックスーツ姿になってしまう。
「防護服」などと呼んでいるから勘違いしている人が多いのだが、このタイベックスーツは、泥や汚物などが付着したとき簡単に脱ぎ捨てられるようにと考案された一種の作業着であって、放射線を防げるわけではない。バスに乗り込むなり厳重に頭まですっぽりフードを被った報道陣の姿は滑稽でさえあった。

バスに乗り込む前からフードをすっぽり被っている報道陣


そもそも、4月21日まではみんな自由に出入りしていた。20kmの境界線には警官が立っていたが、「家に戻ります」と言えば「お気をつけて」とそのまま通してくれていた。そのやりとりさえ面倒だと感じる住民は、少し遠回りでも抜け道、裏道を使って帰宅していた。車を運転できる人たちはみな、重要なものはあらかた運び出していた。
動物保護団体も、この期間はみな20km圏内につながれたまま飢えている犬などを救出してくれていたし、家畜に餌をやるために毎日のように家に戻っている人もいた。

詳しい現場リポートは⇒ここ、表の「阿武隈日記」5月10日版に書いた
テレビ向きの感傷的なドラマを演じさせられた住民たちは、本当にいい迷惑だった。
あの日の報道で、「川内村は汚染された村」と勘違いした人がたくさんいたと思うので、しっかり書いておく。
川内村は逆に、放射能汚染を奇跡的に免れた村なのである。
村の中心部の放射線量は首都圏とあまり変わらない。農地もほとんど汚染されていない。
30km圏内が一律に作付けを禁止されてしまったが、実際には30km圏内であっても大丈夫な田畑がたくさん残っている。一方では、30km圏外で作付け制限されていない場所であっても高濃度に汚染された田畑がある。それなのに、すべて一緒くたにされて「福島県産の○○」となってしまうところが問題なのだ。

私自身は、他県の人たち同様、しばらくはスーパーに「福島県産の○○」が並んでいたら、敢えて買おうとは思わない。しかし、汚染がほとんど問題のないと分かっている場所でとれたコメなら喜んで食べる。
村の中心部にあるYさんの田圃は、無農薬・合鴨・木炭農法を続けてきた。数年前は天皇家への献上米も出した。Yさんは今年も作付けをするが、出荷はしない。売れないことは分かっている。
しかし、作ってみて、その米の放射能汚染を計測してみなければ、来年へのステップにもならない。そんなことは誰が考えても分かることなのに、県や村からは頭ごなしに「作付けしてくれるな」と圧力がかかる。
Yさんの田圃の土の上で、私はすでに放射線量計測もしているし、土壌サンプルも採取して検査機関に持ち込んでいる。Yさんの田圃で今秋収穫されたコメは、精米後、まず放射性物質の検出は不可能だろう。だから、もし分けてもらえるなら、私は喜んでそのコメを食べる。安全なことが分かっているからだ。

都会のビルの中で学者や官僚、政治家が数字をいじってああだこうだやっていても、現実は別のところに厳然と存在し、状況はどんどん動いているのだ。
現実に即して、最善と思われる行動をとっていくしかないではないか。
タイベックスーツを着せて、低濃度汚染の場所に2時間だけ入らせる「一時帰宅ショー」を全国中継することで状況がよくなることはない。逆に、住民の苦しみを増大させ、被害を大きくするだけだ。

現在の放射能汚染状況が「1960年代と同水準」は明らかな間違い2011/05/30 13:06

セシウム137の積算蓄積量評価図(文科省とDOE合同の調査による)
今日こそは普通に仕事をしようと思っていたのだが、朝から気になるメールが舞い込んだ。
産経新聞あたりが、「1960年代の方が、現在よりも放射性降下物は多かった」という主張を展開しているが、騙されないでほしい……という内容だった。
産経新聞の記事というのは読んでいないので、どれのことだろう、と探してみたところ、どうもこれらしい。
「1960年代と同水準、米ソ中が核実験「健康被害なし」 東京の放射性物質降下量」
……というタイトルの記事で、4月28日に配信されている。
リード部分をそのまま抜き出すと、

//東京電力福島第1原発の事故で現在、東京の地表から検出される放射性物質(放射能)の量は事故前の数万倍に上る。しかし1960年代初頭にも、海外の核実験の影響で、日本でも同レベルの放射性物質が検出されていた。それでも健康被害が生じたことを示すデータはなく、専門家は「過度な心配は不要だ」との見方を示している//

という内容だ。
根拠となっているのは、私もブログなどで以前に紹介した気象研究所地球化学研究部による「環境における人工放射能50年:90Sr、137Cs及びプルトニウム降下物」というWEBページ
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
1950年代末から現在までの大気中の放射性物質量の推移
そこには上に示したグラフが掲載され、1960年代、米ソなど諸外国による核実験が行われていたときの東京の汚染状態は、チェルノブイリ以上だったという事実が示されている。
このグラフの縦軸は「対数目盛」で、1、10、100、1000、10000……というように、1目盛が対数で増えているので、5目盛り目は1目盛り目の5倍ではなく1万倍を意味する。
普通目盛りで縦軸を書くととんでもなく縦長になってしまうためにこういうグラフになっているわけだが、確かに2000年以降よりも1000倍とか1万倍というレベルの放射性物質が降ってきていたことが分かる。
しかし、それが「FUKUSHIMA」以降と同じレベルなのかというと、そんなことはない。
例えば、文科省は、3月22日に、3月21日の雨の影響で、20日朝から24時間の間に放射性物質の降下量が増えたと発表している。
3月21日9時から22日9時までの24時間で、東京(新宿区)でのセシウム137の降下量は5300メガベクレル/平方キロ。メガベクレルは100万ベクレルだから、530億ベクレル/平方キロ。分かりやすく単位を直すと、5300ベクレル/平米だ。
一方、気象研究所地球化学研究部による「環境における人工放射能50年:90Sr、137Cs及びプルトニウム降下物」によれば、
//人工放射性核種は主として大気圏内核実験により全球に放出されたため、部分核実験停止条約の発効前に行われた米ソの大規模実験の影響を受けて1963年の6月に最大の降下量となり(90Sr 約170Bq/m2、137Cs 約550 Bq/m2)、その後徐々に低下した。//
……とある。
セシウム137が1か月間で約550ベクレル/平米降ったのが過去の最高値だといっているが、3月21日9時からの24時間で東京都新宿区に降ったセシウム137は5300ベクレル/平米だから、1日で過去最高時の1か月の約10倍ということになる。
過去最高だった1963年6月期の月間約550ベクレル/平米を30日で割れば18.3ベクレル/平米。2011年3月21日の5300ベクレル/平米はその289倍だ。これだけを見ても「1960年代と同水準」という産経新聞の記事は単純な誤りだと分かる。
セシウム137の半減期は30年だから、今も、この「1日で」東京に降った5300ベクレル/平米分のセシウム137はほとんど減らずに環境中に残っているはずだ。セシウム137が降ったということは、当然、データをとっていないセシウム134なども降ってきているわけだし、他の日にも増減はあるものの放射性物質は確実に降り注いでいる。
ましてや福島周辺ではどうなのか。
5月6日に発表されている「文部科学省及び米国エネルギー省航空機による航空機モニタリングの測定結果」によると、原発から北西に延びるホットポイントにおける4月6日~29日までの24日間のセシウム137蓄積量は、300万~1470万ベクレル/平米という区分け(いちばん上の図でオレンジ色に塗られたエリア。図はクリックで拡大)。過去最高だったという1963年6月(高円寺)の約550ベクレル/平米とは4桁以上(1万倍以上)違う。

以上のことを「○○の××倍」という言い方で表せば、

●福島原発事故以前、放射性物質降下量が最大だったのは1960年代で、2000年以降福島原発事故までの降下量の1万倍くらいあった。
●福島原発事故で大量に放出された放射性物質により事態は一転し、原発周辺地域の高濃度汚染地帯では過去最高だった1960年代の軽く1万倍から10万倍というレベルの降下量を記録している。
●これを2000年代、福島原発事故前の数値と比べれば、1万倍のさらに1万倍以上だから、「平常時」の軽く10億倍以上の降下量になった。

……ということになる。
あまりにとんでもない数字なので、間違いではないかと何度も確認したのだが、何度見直してもこういうことになりそうなのだ。
(もし、間違いがあったら指摘してください)

要するに、「○○の××倍」という表現に問題があるのだろうと思う。
「チェルノブイリの○倍」といった表現をメディアが好んで使うが、誤解の元だからやめたほうがいいのではないか。
セシウムもプルトニウムも人為的に生成された核種であり、人間が核エネルギーに手を出さなければ地球上には存在しなかった。本来、ゼロであるものに対して「○倍」と言っていることがおかしなことで、1万倍とか10億倍といっても、それが具体的にどれだけ生物に影響を与えるのかという話がなされなければ意味がない。「○倍」の数字の大きさだけを騒ぎ立ててもどうしようもない。
現在が「極めて異常な状態」であるということを正確に認識した上で、では、どうなるのか、どうすればいいのかという話をしていかないとどうしようもない。
この議論は、次の項に続けたい。

勘違いもはなはだしい2011/05/30 14:54

原発事故以降、完全停止したままの檜山高原ウィンドファーム
前項の最後で、「現在が極めて異常な状態であるということを正確に認識した上で、では、どうなるのか、どうすればいいのかという話をしていかないとどうしようもない」と述べた。
このことをもう少し詳細に書いてみたい。

週刊現代5月X日号の記事で、「溜池交差点で、購入したばかりの放射線量計を手にした国土交通省政務官でもある代議士が、0・128μSv/hという数値を見て目を疑った」というような記述があった。
福島県内で毎日、線量計とにらめっこしながら2か月以上生活している「原発被災住民」としては、この人は何をびっくらこいているのかしらと思う。零コンマいくつなどという数字は我々にとっては「安堵の数値」だ。
僕は3月12日の1号機水素爆発直後に逃げ出して、川崎市の仕事場に一時避難したが、川崎市の仕事場では、今なお0.14μSv/h前後の数値を示している。首都圏でも0.1xはあってあたりまえだと知っているから、「公式発表」で0.0xという数字を見ると「本当かなあ」と疑ってしまう。(地上18mでの計測値だったなどと後から説明されて、ああ、やっぱりね……と……)
その感覚からすると、「溜池交差点ってずいぶん線量が低いんだなあ。ほんとにそんなものなの?」と思うわけだ。

今、この文章を書いている川内村の自宅内は、0.38μSv/h前後。3月26日に一時帰宅したときは家の中でも1μSv/h前後、屋外では2μSv/hを超えることがあったので、ずいぶん下がった。
たまにテーブルの上に置いた線量計が0.28μSv/hくらいをさしているのを見ると幸せな気分になれる。
僕たち福島の住民は、毎日テレビの画面に映し出される「県内の空間放射線量測定値」なる情報画面を見ていて、30km圏外郡山合同庁舎前が1.50μSv/hくらいあるのを知っているので、0.xxという数値はとっても低い数値という感覚になっている。

前出の代議士は、「0.128μSv/hを年に直すと1.12ミリシーベルトだから、一般人の年間被曝許容量基準値1ミリシーベルトを超えてしまう」とびっくりしているらしいのだが、そんなものは福島県の人間だけでなく、多くの人がとっくに超えてしまっているのだ。
子供に年間20ミリシーベルトも許容していいのかという騒ぎにしても同じことで、一度決めた基準値を引き上げたりするから怒られる。あたりまえのこと。
しかし、今になって「1ミリシーベルト以下になるよう努力する」と言ったところで(そう言うこと自体は当然のことだが)、言い直したから現実が変わるわけではない。文科省が「そうですね、やっぱり1ミリシーベルト以下ですよねえ」と言って、日本中の放射線量が下がってくれるわけではないのだ。
郡山市や福島市、伊達市などでは、今なお平気で空間線量が1μSv/hを超えている場所がいっぱいある。
阿武隈日記にも書いたように、津島周辺のホットスポットでは、軽く20μSv/hを超える場所があって、警戒区域にもなっていないため、自由に人が活動している。
こういう現実と毎日向き合っている我々としては、年間20ミリシーベルト論争を熱く繰り広げられても「現実問題として、そんなもん、とっくに超えちゃっているんだよ」と思うしかないのだ。
国交省の役人がそうした現実を把握していないで「溜池の交差点で0.128μSv/h」にびっくりしていることのほうがよほど恐ろしい。
最低限の安全確保さえしないまま「原発は絶対安全です。壊れたりしません。ましてや放射能が漏れるなんてありえません」という文言を繰り返してきた挙げ句、いざ大量に漏らしてしまった後は、「大丈夫です。ただちに健康に影響を与えるレベルではありません」の連呼。
「大丈夫」と言っている一方で、30km圏内+「計画的避難区域」の農地は一律作付け禁止だという。30km圏外にある汚染の高い農地では田植えが始まっている。そこより汚染の薄い場所では、試験的に作付けしてみる行為さえ県から「やめてください」と圧力をかけられている。穫れた米を出荷することを諦めているのに、だ。
そういうことを知りもしない都会の人たちが、上っ面の事象だけをせっせと記事にしている。しかも間違いだらけの記事に。
某誌の記事では、川内村を「河内町」と二重に誤記した挙げ句に、ビッグパレット避難所に富岡町の臨時役場と隣り合っているのは無駄だからさっさと合併して合同役場にすればいいのになどと平気で書いている。
ここまでずっと耐えてきたが、もう限界を超えている。うんざりだ。

福島第一原発が出してしまった、また、これから出し続ける放射性物質はとてつもない量である。これはもう、誰がなんと言おうと変わりようのない現実だ。
その中で生活していく我々は、人類史上初めてと言ってもいい規模の被曝実験に巻き込まれた実験動物になってしまった。
全国の(福島以外の)原発で、作業員の内部被曝が続々と報告されている。内部被曝しているとされた人たちは福島原発で作業をしたわけでない。事故後、福島県内の自宅に一時帰宅したとか、原発周辺の営業所に出張したとかした人たちだという。原発敷地内にさえ入っていない人が内部被曝しているとすれば、我々周辺住民のほとんどが、程度の差こそあれ、内部被曝はしている。
まあ、そんなことは分かっているのだ。分かった上で「ただちに……」というおまじないを唱えながら暮らしているのだ。

この現実を見つめた上で、どうすればいいのか?
何ができるのか?

「放射性物質の除去作業を急げ」というのは正論中の正論。校庭の土、さっさと削りとってくださいな。
しかし、その削り取った土を持っていく場所に拒否され、ブルーシートを被せたまま校庭の脇に積んであるのが現状。 そんなものを持ち込まれたら困ると反対する人たちの言い分も当然。

いい加減に気づきなさいよ。今回の「事故」(本当は「事件」)が起きなくたって、原発内部の放射性物質の量は変わらない。最終的にはこの気の遠くなる量の放射性物質を原子炉から取りだして、どこかに保管しておかなければならないのだ。それを押しつけられるのは、まだ生まれていない世代に及ぶのだ。
地球の循環システムに乗せられないゴミ、汚れを出してはいけないというのが、地球で生きていく上でいちばん大切なことなのに、誰もその基本中の基本に気づかない。見ようとしない。学校でも教えない。代わりに子供たちに「原子の光」なんて習字をさせている。

今、「福島」をどうするかをめぐって「識者」と呼ばれる人たちや政治家、企業経営者たちが嬉嬉としていろんなことを言っている。
中には、放射性物質を浴びた森林を全部伐採しろなどという暴論を吐く人もいる。
丸裸にした山や作付け禁止にした田畑に太陽光発電パネルを敷き詰めろだの、ウィンドタービンを並べろだの、福島を知りもしない、現地を見てもいない人間たちは言いたい放題だ。
それをまた歓迎する地元の土建業者やら原発雇用で一時期金が入っていた住民やら自治体職員やら議員やらがいて……福島県が原発を積極誘致したときと同じことが「エコ」だの「自然エネルギー」だのという名前のもとに、形を変えて繰り返されようとしている

やめてくれ。
これでは第二、第三の原発問題が形を変えて再生産されるだけだ。

やりきれないのは、今まで「原子力の嘘」に関わらず、原発にぶら下がることなく自分たちの力で生きようとしていた飯舘村のような場所が、いちばんの汚染被害を受け、壊滅状態にされたということだ。人生の大半をかけて築いてきたものを、一瞬にして奪われてしまった人たちのことを思えば、にたにた笑いながら「メルトは溶ける、ダウンは落ちるですから、まあ、それで結構です」なんて言葉を吐けるはずはない。
ねえ、みんな正気なの?

飯舘村は、今後しばらくの間、「原発に消された村」として観光地にすればよい。
福島をどうしろと議論したい人は、一度は訪れて、何かを感じ取ってほしい。
ツアー参加者には線量計を持たせて、ガイドさんが村のあちこちを案内する。
「このコーヒーショップは自家焙煎が自慢で、オーナー夫妻はおいしい珈琲をいれるために東京に修業に行き、その後20年、苦労して、福島市内からまで通うリピーターのいる名物店になりました。2011年は開店20周年の記念すべき年でしたが、放射能によってすべてが終わりました」
「この牛舎には500頭の牛がいました。飯舘牛は日本有数のブランドになりましたが、そこに育て上げるまでは苦労の連続で……」
美しい風景の中、ツアー客一行以外人影はない。線量計の警告音だけがピーピーと鳴り響く。
ついでに津島のホットスポット経由で檜山高原、滝根小白井にも移動して、ウィンドファーム見学もぜひ。
「この尾根筋にずらっと並んだ巨大風車は2000kwが23基と14基で合計37基。合計7万4000kw/時の発電能力ということになっていますが、もちろんそれは最適な風が吹いたときの話ですから、実際には風が吹いたときだけ不安定に発電するわけです。それで、原発事故以後は、ご覧のように風に関係なく、止まったままで1Wも発電しておりません。さて、なぜだと思われますか?」
……ぜひ、やるべきですね。啓蒙ツアー。

どこまで許容して、その上でこれから先の人生をどれだけ生き甲斐を持って過ごしていけるだろうか、と毎日考え、希望を少し持っては根底からガラガラと崩され……の連続。
ほとほと疲れた果てに、仕事で首都圏に足を運ぶと、
「もう福島はダメなんだからさぁ、この際、日本中の原発を福島に集めればいいのよ。廃棄物も全部福島へ持っていって、未来永劫福島に閉じ込めて外に出さなければいい。どうですか、福島の住民としては?」
なんて言われたりする。中には、
「なんでよりによって原発のある福島になんか移り住んだの? 例えば群馬じゃダメだったの?」なんて詰問口調で言ってくる人がいたりする。
僕らは福島の自然に魅了されて移り住んだのよ。
さっきもオーガニック食品のブランドを立ち上げて地道にやってきた人と電話で話していた。その人も移転を余儀なくされ、補償問題も解決しないままに、仕方なく移転先の物件探しに明け暮れる日々だ。
「いろいろ見て歩いているけれど、どこを見ても、今いる阿武隈の自然がいかに素晴らしかったかを再確認するだけなのよねえ。やっぱりここがいいのに……って思うだけで、全然前に進まない……」
そうなんだよなあ。ここがいいからこの地を選んで住んでいた。この地を愛していた。
それだけのことなのに、「なんでよりによって福島に」とか言われる筋合いはない。僕らがどんな気持ちでこの土地に残ったり、この土地から追い立てられたりしているか、分かってほしいなんて一切言わないけれど、せめて放っておいてくれ。これ以上引っかき回すのはやめてくれ。
……しかし、群馬といえば……八ッ場ダムって、その後どうなったんだろう。
日本国中、あっちでもこっちでも、根っこが同じ問題がずっと続いてきて、これからも繰り返されるのか。
ああ……。