「縄文村」と「森水学園」2019/12/28 11:53

18年目に入った縄文村

先日、フェイスブックで⇒この記事のことが話題になっていて、久しぶりに「縄文」という言葉を思い出した。
その後、12月20日に、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の2021年世界遺産登録のための推薦書をユネスコに提出することが閣議了解されたそうだ。これが通れば、来年あたりまた「縄文ブーム」が訪れるのかもしれない。
かつてこの話題が一時盛りあがったきっかけは、青森県の大平山元遺跡から約16500年前と見られる土器が見つかったことだった。
「縄文土器は世界最古の土器であり、世界4大文明などよりずっと古い時代から日本に先進的な文明が存在していた証拠だ」といった論調が飛び交った。(正確には、大平山元遺跡から見つかった土器は無紋(模様がない)であり、「縄文」土器ではないのだが。)
こういうときに、どうも「世界最古」を争うような方向に話が流れやすい。その後、中国でもっと古い時代の土器が見つかったらしいというニュースが流れたときも「中国のことだから歴史捏造に違いない」とか「証拠が希薄だ」といった主張が飛び交った。
どこが「世界最古」かはともかく、1万数千年前という気の遠くなるような時代に東アジアのあちこちで土器というものを使った生活がされていたことは間違いない。
この時代、人々は土器で湯を沸かし、ドングリなどの木の実を茹でたり、魚を煮て油を取ったりしていたという。
つまり、縄文時代と言われる太古における土器を使った文明のポイントは、
  • 狩猟だけでなく、煮炊き料理によって植物食の範囲を広げることができた結果の食生活の安定
  • 食生活の安定による移住生活から定住生活への移行
ということだ。
しかし、これを可能にしたのは土器の発明だけでなく、その背景には「急速な地球温暖化」があったことを忘れてはいけない。
氷河時代が終わり、日本列島の植生がそれまでの亜寒帯的な針葉樹林中心から落葉樹もまじる森林へと変化した。この大きな変化があってこそ、ドングリなどの植物食に人々が注目した。そのために煮炊きする道具としての土器も発明された……という順番なのだろう。

現代社会では「地球温暖化を防がないと人類は滅亡する」などと騒いでいるが、古代人が土器でドングリを煮炊きしていた時代は今よりずっと温かかったはずだ。大規模な縄文遺跡が青森などの北の地域にあることを考えれば、それは容易に理解できる。ただ、冷房もビル群もないから、ヒートアイランド現象などは起こらない。都会暮らしの人たちが苦しむような「暑さ」とは無縁だっただろう。

温暖化も寒冷化も、人間の手でコントロールできるようなものではない。
対処療法として、寒冷化すれば暖房して凍死しないようにする、温暖化して辛ければ冷房して部屋を冷やすわけだが、どちらも化石燃料や稀少な地下資源を消費する。
太陽光発電や風力発電なら化石燃料を使わずに済むなどというのは大ウソで、太陽光パネルを製造するためのエネルギー、風力発電の不安定さを補うための出力可変の発電(貯水水力や火力)への負担が増える。山に大型風車を並べれば保水力が失われて災害が増える。ましてや原発は事故を起こさなくても廃物を今の科学では処理できないし、ウラン燃料やプルトニウムを得るまでの過程で大量のエネルギーと汚染、健康被害が起きる。
そうした計算を無視して突っ走る現代石油文明は縄文時代の文明より「文化度」が低いのではないか。

「縄文」に憧れを抱く人たちは共通して「無理をせずに地球の自然環境に適合して幸福を見つけられる生き方」を理想と考える。これはまったく正しい。ただ、解決法に対する理解度が違う。ファナティックに「CO2が~!」と叫ぶ人たちは、金儲けのためには何でもする人たちに容易に利用される。

現代石油文明は「持続可能」ではない。地下資源が枯渇した後にもそれに代わる高度な機械文明が成立しうると考えるのは妄想である。
今を生きる我々ができることは、持続時間を少しでも伸ばして子孫にかける迷惑や負の遺産を減らすことだ。そのためには、第一に省エネルギーだろう。
それも、見せかけの省エネではなく、本当の省エネ。
省エネを謳った活動によって、裏ではさらに資源浪費が進んだり、環境破壊が起きたりすることがあまりにも多い。
製造13年超の自動車にかける自動車増税などはその典型で、到底許せるものではない。

……と、この手の話を書き始めるとついつい長くなるのだが、jomon.orgというドメインを取得したのは2002年9月のことだった。そのときに作ったWEBサイトを長い間放置してあったのだが、思い出して読んでみると、結構いいことが書いてある。
記紀(古事記・日本書紀)は、征服者であり、権力を握った側から編纂された史書ですから、当然、権力者側を正当化する内容で書かれています。被征服者の側から書かれた文書があったとしても、それらは権力者の手によってほとんど消されてしまったでしょう。
いわゆる古史古伝の類は、偽書であるとして、歴史教育の場からは抹殺されています。しかし、後に都合よく書かれたから偽書だというのであれば、古事記や日本書紀も「偽書」となります。
歴史教科書に書かれた古代も、結局は想像による部分がほとんどです。
現代に生きる私たちは、日本列島がかつてどんな土地で、どんな人々がどのように暮らしていたのか、正確には知るよしもありません。
ただ、ひとつだけ言えるのは、現日本人が太古からひとつの独立した民族であったなどということはありえないということです。
現在、アジア諸国を形成している多くの民族の血が複雑に混じり合っているのが現日本人、ということではないでしょうか。
この認識は、とても大切なことだと思います。ある民族に対する偏見や、根拠のない優勢意識が、今まで多くの戦争やテロ事件、虐殺事件を起こしてきました。少なくとも「血」を云々することが馬鹿げていると認識できれば、こうした過ちを繰り返す愚をある程度抑止できるかもしれません。
また、日本人の優秀さを論じるとき、その勤勉さや、ルールや集団の統制を重視する気質などがあげられますが、これらはおそらく、縄文的な気質というよりは、後から入ってきた弥生的(渡来人系)気質によるところが大きいという気がします。
しかし、近代化という名の下に、現代日本人は、この土地の貴重な自然を破壊してきました。経済という宗教を盲信するあまりに、生き甲斐を失ってしまいました。さらには、権力者が自分の都合のいいようにルールをねじ曲げたり、わざと繁雑にして逃げ道を作るという負の面も生まれました。
このように閉塞した状況の現代においては、今まで軽んじられてきた縄文人的なおおらかさ、自然を愛し、自然に宿る見えない力を畏怖するという気質を、もう一度見つめ直すことが必要ではないでしょうか。
縄文的おおらかさ・平和主義と、弥生的な勤勉さ・律儀さのバランスをうまくとりながら、争いを避けて生きていくことこそ、今の日本に必要な戦略ではないかと思うのです。
「縄文村」村長・下村勝司のあいさつ より)

jomon.orgというドメインは放出してもいいかなと思っていたのだが、もう少し持っていようと思う。

森水学園第三分校


その縄文村と同じような発想で作ったのが森水学園第三分校だった。これはまだ3年経っていない。
例の「森友学園」事件のときに「森友……森が友達って、名前はいいんだけどなあ……教育勅語って、何やってんだこの夫婦は」と思ったのがきっかけだっただろうか。
中学高校の同級生・工藤誠一氏は母校・聖光学院の校長になり、僕らが在校していたときには考えられないような有名校へと改革したが、私が学校を作るならどんな学校が理想だろうか……という発想のもと、阿武隈時代に学んだことなども取り入れてバーチャル学園を作り始めた。
これはmorimizuというドメインこそ取らなかったが、これからも気力がわいたときに、少しずつページを増やしていきたい。

国語担当の鵯田つぐみ先生が作詞、音楽担当の林田光(はやしだ・ひかる)先生が作曲した校歌は特にお気に入りである。
森水学園の校歌!

森水学園第一校歌「ヒフミヨイの歌」 (鵯田つぐみ・作詞、林田光・作曲)

ヒフミヨイ 時間(とき)も物質(かたち)も
回りてめぐる この世界に
生まれ出で 出会いを重ね
形なき闇を 見つめる術(すべ)知る

ムナヤコト 夜が訪れ
また日は昇る この世界よ
罪も汚れも 結べぬ答えも
すべて吐き出し 空にもろ消せ

ああ、森と水が 我らが母校
命を学ぶ 森水学園


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