小説「そして私も石になった」(1) 序2022/02/14 19:00

編集子・いつき事務局・いつき:  さて、森水学園の「用務員」杜 用治さんが残したノートも、最後の何冊かになってきました。
用治さんが取り壊し直前の廃校校舎から姿を消したのは2006年の終わり頃ですが、その直前に書かれたものは、日記というよりは「小説」に近いようなものです。
そして私も石になった」というタイトルらしきものがついていて、その後、かなり不思議な、というか、突飛な話が書かれています。
私はそれを最初に読んだときは、当時も流行っていた、いわゆる「陰謀論」とか、裏の権力者の存在の話に近くて、こんな文章、なんだか用治さんらしくないなあと違和感を感じたものです。
しかし、2022年となった現在、あまりにも内容が今の世界状況と一致していて、読み返すと、目眩がするほどの衝撃を覚えます。
みなさんはどうお感じになりますでしょうか。

ここにその全文を、少しずつ公開していきます。

 俺の名は杜用治。東北の山村にある廃校に住み着いて40年以上になる。
 廃校というのは正確ではないかもしれない。小学校自体はむしろ生徒数も増えていったのだが、あるとき、最初の校舎を捨てて、別の場所に移転したため、校舎が残ってしまった。だから「廃校」ではなく「廃校舎」というのが正しいだろう。
 ともあれ、この廃校舎は今は「森水学園」と呼ばれている。生物学者の森水生士(いくお)という人が村から借りて、一風変わった私塾のようなことを始めたのが東京オリンピックが開催された年だったそうだ。俺はその少し後になんとなく出入りするようになり、いつの間にか校舎に住み着いてしまった。
 森水学園は普段は誰もいない。催し物的な「なんとか教室」とか「なんとか講座」が開かれている時期だけ人が集まってくる。
 森水校長はこの村の空き家を買ってそこに一人暮らししていたが、校舎にはよく顔を出して、時には夜通し俺と飲みながらいろんな話をしていた。
 森水校長は実に魅力的な人物だった。得体の知れない俺を受け入れてくれただけでなく、最高の話し相手だった。
 俺は当初、村役場からは不審人物として見られていたが、森水校長がうまく取りなしてくれて、そのうちにあまりうるさいことも言われなくなった。
 俺は校舎の一室に寝泊まりさせてもらう代わりに、留守中の保守点検やら掃除やらをしてきた。
 いつからか学園に来る常連さんや村民からは「用務員さん」と呼ばれるようになった。

 俺の「身元保証人」みたいになってくれていた森水校長が死んだのが30年ほど前のことだ。
 裏山にキノコを採りにいって、マムシに咬まれ、ショック死した。もう80代半ばだったから、悪い死に方じゃない。まあ、そんなことを口に出したら顰蹙ものだろうが、80年以上元気に生きて、ある日苦しむこともなくパッと死ぬ。いわゆる「ピンコロ」だ。最高じゃないか。

 森水校長の死後も、森水学園は森水生士の思想や生き方を慕って集まった人たちによって細々と活動を続けていて、俺の「用務員」としての生活もそのまま続いた。
 しかし、俺ももう80代後半で、さすがにもう長くはない。
 なるべく村役場や村の人たちに迷惑をかけない形で、ここから消えようと思っている。

  

 そんな風に、死への準備を進めていたある日、俺が寝泊まりしている「用務員室」の床板が抜けた。
 いつもならすぐに修理するのだが、そのときは破れた床板の間から見える小さな闇をしばらくぼうっと眺めていた。
 どうせもうすぐここを出ていく。この校舎自体、壊される。今さら修理しても詮ないという気持ちがあったからだが、破れた隙間からは床下の冷気が入り込んできて、やはりなんとかしなければ気持ちが悪い。さて、どうしたものか……。
 修理するために破れた床板を外しているとき、突然奇妙な声が聞こえた。
 いや、聞こえたというのは正確ではない。脳の中で音も文字もない文章のようなものが次々に作りだされる……そんな感覚だろうか。
 神がかりとか狐憑きとか、そういうことなのかもしれない。うまくいえないが、とにかく何もないところで、俺は何者かと会話を始めてしまったのだ。

<この校舎も、もうすぐ壊されるらしいね>

 俺の脳内で、何者かがそう「言った」。
「ああ。そうだ」
 不思議なことに、俺は何ら不思議に思わず、脳の中でそう応じていた。
 長い間そばにいた誰かが、沈黙を破って話しかけてきたような、そんな気持ちだった。

<きみは最近、量子とか仮想空間とか、そんなことを考えているだろう>

 俺の脳の中でその何者か……面倒なのでここからはNとでも呼ぶことにしよう、Nがそう言った。
「まあね。この世界での命ももう終わるからね。この世界は一体何だったんだろう、俺という存在は何だったんだろう。人間、誰でもそういう問いかけをするだろ。死ぬ前には特にそうなるんじゃないのかね」

<そうなのか? で、答えは見つかったのかい?>

「見つかるわけないじゃないか。知ってて言ってるんだろ?」

<ああ、無駄な問いだったね。で、知りたいかい?>

「知りたいって、何を? この世界は何だ、俺という存在は何だ、みたいなことの答えをか?」

<ああ>

「あんたは知ってるのかい?」

<きみよりは知っているつもりだよ。きみよりはるかに長い時間を生きてきたからね>

「へえ。それはすごいな。じゃあ、教えてくれよ」

<いいよ。いわゆる冥土の土産ってやつだね。きみは幸運だ。私とこうして会話ができて>

 ……と、こんな風に俺とNの長い会話が始まったのだった。


           




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