50年前のカセットテープに入っていたAKAIのラジオCM ― 2022/08/28 20:29
少しでも断捨離しなくちゃ、と思ってゴミの山に向かったのだが、古いカセットテープの山から、ああ、これは捨てられないよなあと思うようなものが出てきて、また作業が止まってしまった。
大元のテープからダビングを重ねて編集したものばかりだが、一番古そうなのは1972年と記されたもの。
中2の秋に結成したフォークバンド「巨蕭(きょしょう)」も、もうすぐ大学受験だし、最後に録音でもしようか、と、河原君の家に集まって録ったものらしい。
あたしと河原君、石井くん、そして録音係として佐野くんもいるみたいだ。野口くんがいないのは、すでに受験勉強に専念して抜けていたからかな。
聴いてみたいが、カセットテープを再生するプレイヤーがない。
何年か前に買ったUSB出力のついたカセットプレーヤーがあるはずだと思って部屋中捜したが出てこない。数時間後、ようやく見つけたのだが、再生してみたらモケモケの音で、聴けたもんじゃない。
これはテープそのものがダメなのか、それともプレーヤーが劣化してダメになっているのか?
動作はするので、何本か差し替えて試したのだが、どれもひどい音でグニョグニョ。
そこで、どこかにラジカセがあったはずだと、かわず庵に戻って持ってきたが、ラジオは受信できたが、カセット部分は音が出なかった。
悩んだ末に、メルカリやAmazonでカセットテープ再生機を探した末に、Amazonで前に買ったのと同じようなやつをポチした。
「残り1点」で2,480円だったが、今確認したら「残り1点」のまま3000円に値上げしていた。「残り1点」はおそらく「釣り」だろう。
翌日届いたのだが、なんと、前に買ったサンワサプライの製品とまったく同じものだった。OEMで何社にもフタと裏のシール部分だけ替えて供給しているようだ。
サンワサプライのは4980円で出ているので、半額で購入できたわけだ。
これも最初は苦労したのだが、なんとか今度はマシな音で再生できた。
↑50年前の私の歌声。
一緒に歌っているのは河原君と石井くん。
で、これよりもっと聴きたかったのがこれ↓
1971年頃、ラジオから流れてきたAKAIのオープンリールデッキのラジオCM。
FMの音楽番組を録音していて、たまたま一緒に録音されていたもの。ナベサダの番組か何かだったのかな。
3分45秒の楽曲を2分50秒まではまったくナレーションなしで聴かせてくれるので、そのときも最初はCMだとは思わなかった。
私が師匠と思っている樋口康雄氏さんの作風だが、AKAIだから、作・編曲はおそらく大野雄二さんだろう。
短調とも長調ともつかない、ドレミではとても歌えないような調性感のない?メロディなのだが、違和感などはまったく感じさせず、お洒落で耳に心地よい。
こんな贅沢な放送文化、音楽文化があった時代なのだと、改めて感じさせてくれる名曲。
これをカセットテープに入れてよく車の中で聴いていたのだが、長いことテープを紛失していて聴けなかった。
今回はしつこく再生に挑戦した結果、なんとか聴けた。
埋もれさせたままなのはあまりにももったいないので、いろいろ問題はありそうだが、YouTubeにUPしてみた。
凄いよなあ。
50年前の日本はこうだったんだなあ。奇跡のようなかっこよさ。
「グリーン・スリーブズ」みたいなメロディックマイナーのメロディというのともちょっと違うし、かといって、メジャーでもマイナーでもないような調性感の摑みにくい曲。
↑冒頭の部分を譜面に起こしてみただけでも、転調やら変拍子やらテンポチェンジやら……滅茶苦茶凝っている。それなのに嫌みがまったくない。普通に聴いていたら「ああ、きれいなメロディだなぁ」で終わりそうな自然さ。
こういう音楽が50年前には一部の音楽家たちによって量産されていた。樋口康雄、大野雄二……この二人は一体どれだけの劇伴やCM音楽を書いたことだろう。そのすべてがかっこよくて、テレビのイヤホンジャックにコードをつないでテープデッキに録音したりしたものだ。
このメロディが頭から離れず、脳が興奮したままでよく眠れなかった。
50年経った今、こういうのを聴き直すと、自分がいかに中途半端で凡人なのかが分かり、静かなため息が出る。
残りの人生、数をまったく無視した創作活動をしようと、改めて思った。「一人に向かって」どころか、自分だけに向かって。
誰にもおもねない。受け入れられるという計算もしない。
そうして、肉体から抜けて行く準備をしていけないだろうか……。
ああ、やっぱり音楽は魔物だな。
大元のテープからダビングを重ねて編集したものばかりだが、一番古そうなのは1972年と記されたもの。
中2の秋に結成したフォークバンド「巨蕭(きょしょう)」も、もうすぐ大学受験だし、最後に録音でもしようか、と、河原君の家に集まって録ったものらしい。
あたしと河原君、石井くん、そして録音係として佐野くんもいるみたいだ。野口くんがいないのは、すでに受験勉強に専念して抜けていたからかな。
聴いてみたいが、カセットテープを再生するプレイヤーがない。
何年か前に買ったUSB出力のついたカセットプレーヤーがあるはずだと思って部屋中捜したが出てこない。数時間後、ようやく見つけたのだが、再生してみたらモケモケの音で、聴けたもんじゃない。
これはテープそのものがダメなのか、それともプレーヤーが劣化してダメになっているのか?
動作はするので、何本か差し替えて試したのだが、どれもひどい音でグニョグニョ。
そこで、どこかにラジカセがあったはずだと、かわず庵に戻って持ってきたが、ラジオは受信できたが、カセット部分は音が出なかった。
悩んだ末に、メルカリやAmazonでカセットテープ再生機を探した末に、Amazonで前に買ったのと同じようなやつをポチした。
「残り1点」で2,480円だったが、今確認したら「残り1点」のまま3000円に値上げしていた。「残り1点」はおそらく「釣り」だろう。
翌日届いたのだが、なんと、前に買ったサンワサプライの製品とまったく同じものだった。OEMで何社にもフタと裏のシール部分だけ替えて供給しているようだ。
サンワサプライのは4980円で出ているので、半額で購入できたわけだ。
↑↓左が今回購入したもの。右が数年前に購入したサンワサプライのもの。まったく同じ製品だった
これも最初は苦労したのだが、なんとか今度はマシな音で再生できた。
一緒に歌っているのは河原君と石井くん。
で、これよりもっと聴きたかったのがこれ↓
1971年頃、ラジオから流れてきたAKAIのオープンリールデッキのラジオCM。
FMの音楽番組を録音していて、たまたま一緒に録音されていたもの。ナベサダの番組か何かだったのかな。
3分45秒の楽曲を2分50秒まではまったくナレーションなしで聴かせてくれるので、そのときも最初はCMだとは思わなかった。
私が師匠と思っている樋口康雄氏さんの作風だが、AKAIだから、作・編曲はおそらく大野雄二さんだろう。
短調とも長調ともつかない、ドレミではとても歌えないような調性感のない?メロディなのだが、違和感などはまったく感じさせず、お洒落で耳に心地よい。
こんな贅沢な放送文化、音楽文化があった時代なのだと、改めて感じさせてくれる名曲。
これをカセットテープに入れてよく車の中で聴いていたのだが、長いことテープを紛失していて聴けなかった。
↑車で聴くために編集したテープ。「My Favorite Melodies」とある。昔はこういうことみんなやってたよね
↑安物のテープなので劣化が心配だったが……
埋もれさせたままなのはあまりにももったいないので、いろいろ問題はありそうだが、YouTubeにUPしてみた。
凄いよなあ。
50年前の日本はこうだったんだなあ。奇跡のようなかっこよさ。
「グリーン・スリーブズ」みたいなメロディックマイナーのメロディというのともちょっと違うし、かといって、メジャーでもマイナーでもないような調性感の摑みにくい曲。
↑冒頭の部分を譜面に起こしてみただけでも、転調やら変拍子やらテンポチェンジやら……滅茶苦茶凝っている。それなのに嫌みがまったくない。普通に聴いていたら「ああ、きれいなメロディだなぁ」で終わりそうな自然さ。
こういう音楽が50年前には一部の音楽家たちによって量産されていた。樋口康雄、大野雄二……この二人は一体どれだけの劇伴やCM音楽を書いたことだろう。そのすべてがかっこよくて、テレビのイヤホンジャックにコードをつないでテープデッキに録音したりしたものだ。
このメロディが頭から離れず、脳が興奮したままでよく眠れなかった。
50年経った今、こういうのを聴き直すと、自分がいかに中途半端で凡人なのかが分かり、静かなため息が出る。
残りの人生、数をまったく無視した創作活動をしようと、改めて思った。「一人に向かって」どころか、自分だけに向かって。
誰にもおもねない。受け入れられるという計算もしない。
そうして、肉体から抜けて行く準備をしていけないだろうか……。
ああ、やっぱり音楽は魔物だな。
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