元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに……2012/01/04 22:23

虚しいショーが終わって、みんな概ね帰った後の控え室

元旦『朝生』──本当はこういうことを話し合いたかったのに……


大晦日深夜(元日未明)の『朝まで生テレビ』に出演してほしいという依頼があったのは12月15日頃だっただろうか。
真冬の「狛犬見学会」(12月11日、白河市東野出島地域活性化プロジェクト主催)も無事に終わり、これで少し落ち着いて年末年始の準備にとりかかれるかなと思っていたときだった。

あの番組はもう何年も見たことがない。話がこれから、というときに司会進行役が邪魔をしたり遮ったりトンチンカンな質問を浴びせたりして、議論がきちんと進まないシーンが多く、見る気がしなくなっていた。
ましてや年が明け、静かに厳かに新年を迎えたい時間帯に見ようとは思わない。

しかし、『裸のフクシマ』のあとがきにも書いたが、僕の人生、というかものの考え方、価値観を一大転換させるきっかけとなったのがこの番組だった。
20年以上前、この番組で原発の是非を論じた回が2回あった。そこで、「では、反対している人は代替案を持っているのか?」という進行役からの問いに対して、反対派の論客として出ていた槌田敦氏(物理学者、当時は理化学研究所)や室田武氏(経済学者、当時は一橋大学教授)は苦汁に満ちた表情で「そういう問題じゃない」というような歯切れの悪い答えをした。それを見て、これはなんなんだろうと、心に引っかかるものがあった。
代替案がないまま反対しているという単純な話ではなさそうだな、と感じて、とりあえず彼らの著書を買い求めて読んでみた。
『資源物理学入門』(槌田敦、NHKブックス、1982年)『エネルギーとエントロピーの経済学』(室田武、東洋経済新報社、1979年)







そうか、そういうことだったのか!
目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのかと思うほどの衝撃を受けた。
エネルギー問題というのは、ここから出発しなければ論じられないのだ。それを踏まえて語ろうとしている人たちに、進行役も推進派も「原発は是か非か」「原発がなければ困るのだから、代案のない反対は無責任だ」という戦法で押しまくっていただけ。その馬鹿馬鹿しさにつき合わされた虚しさがあの苦汁に満ちた表情だったのだなと、よく分かった。

あれから四半世紀の時間が流れた。
原発がどうしようもないことは分かっていたが、あまりにも巨額の税金が注ぎ込まれ、巨大な利権構造ががっちり構築され、多くの人は考えることも面倒になっていった。
いつか破綻することは分かっているが、決定的な破綻が目に見えるようになって人々が後悔するのは、自分が死んだ後ではないか。僕自身、そう思うようになっていた。
まさか、原発の運営現場までもがあそこまで慢心し、堕落しきっていたとは……。


そして、今度は僕があの番組に呼ばれた。
今の僕は当時の槌田敦氏や室田武氏と同じ年代になっている。
遠路はるばる会いに来てくださったプロデューサーは、僕と同学年だった。
これが皮肉な運命というなら、受け入れるしかない。

そう思って出演依頼を受けたのだが、四半世紀前の番組よりはるかにひどい内容になってしまい、今は虚しさだけを感じている。
反省をこめて、ここに「最低でもこれだけは言っておきたかった」ことをまとめておきたい。
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