「絵作り」戦争の時代2015/01/24 20:03

■「絵作り」戦争の時代



「イスラム国」が二人の日本人を捕らえて身代金を要求している、というニュースが続いている。
その映像に対して「あれは合成だ」という指摘をする者が現れ、その後は、映像を面白半分に再合成して遊ぶ輩が出てきて、それに対して「日本の劣化はついにここまで来たか」と嘆き、怒る者が出てきて……。

安倍政権の対応のまずさやら何やらはいろんな人がいっぱい書いているので、ここでは少し視点を変えて考えてみる。

強烈に感じたのは、人の命を簡単に利用する人間と、人の命を簡単に見捨てる人間がいる、ということ。
前者が「イスラム国」だとすれば、後者は日本政府、あるいは多くの日本人。
人の命はゲームの駒だと割り切り、「子供だから」「女性だから」「前途有望な若者だから」といった情や理屈を一切切り捨てて人の命を弾薬同様に消費し、ゲームの勝ちに走る者たちがいる。
一方で、そういう問題が起きたときに、あ~、まいったな、面倒だな、自分に関係ないところで済ませてくれ、と思って無視する、見捨てる人たちが大勢いる。

命がけのゲームとして仕掛けてくる相手に理屈や正義をぶつけたところでどうなるものでもない。
日本政府は抱え込んだゲームの局面でいかにダメージを少なく切り抜けるかを考え、あらゆる手を打たなければならない。そういう交渉ごとのプロがいなければ、政府や外務省の存在意義はない。
ところが、日本には本当の政治力、国家の運営能力を持ったプロ集団がいなくなった。
ゲームに参加しないことで安全を守る、参加しないことが評価されるという日本流の戦略を理解しないボンボン政治家や官僚たちが上に立つようになり、これまでせっかく築き上げてきた財産を失った。
「国の劣化」は、そこで生活している我々を否応なく滅びの道へと引っ張っていく。

それにしても、「戦争」とか「テロ」とか「平和」とか「国際社会」といった言葉がどんどん変質しているのを痛感させられる。
これは戦争だが、これはテロだ、といった定義をしても意味がない。
マネーゲームの一環としての戦争……という一面は湾岸戦争あたりからはっきりしてきたが、今はもう「戦争」という言葉自体が古くて、意味をなさないように思える。
銃弾や爆弾で命を奪わなくても、ゲームの相手国の国民を不安にさせたり、勘違いさせたり、誘導したりすることで「戦争」を進めていける。

コンピュータソフトでPR動画を作成し、YouTubeにアップすることでも「戦争」ができる。
高性能な戦闘機や戦車よりも、無料で使えるYouTubeが強力で有効な武器になる時代。ぶちこむ爆弾の量よりも、情報戦や広報の力がものを言う時代。
言い換えれば「絵作り」戦争の時代になった。

「イスラム国」、あるいは彼らを動かしている側には相当な頭脳が揃っているようだ。
広告マーケティングやIT技術を習得した技術者集団がいるのだろう。その手法は本来の「イスラム教」的ではない。極めてアメリカ的だ。
その裏に何があるのか……闇が深すぎて、とうてい我々一般人には見通せない。
それでも、我々は、何が起きていて、その裏にある意志はどういうものなのかを精一杯想像しながら、この時代、この社会での身の処し方を考え、生き抜かなければならない。

「絵作り」戦争をやりやすくさせた張本人がテレビ業界を代表とするマスメディアであることも忘れてはいけない。
ディレクターが最初にデザインした通りの絵作りをして番組が流れる。それを見た視聴者が「世の中はこうなのだ」と勘違いする。
いとも簡単に多くの人たちが瞞され、動かされることを学んだ人たちは、情報コントロールや洗脳の方法をどんどん身につけていく。

そういう世の中において、子供っぽい思考、理解力のない者たちに政治を任せることほど危険なことはない。
最も有効な国家安全保障対策は、愚者を政治の世界から追放することだろう。しかし、その唯一の手段である選挙権を、国民が正しく行使しない、あるいは放棄してしまっているのだから、手のうちようがない。

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