新型コロナは、もはや「慣れる」しかない? ― 2020/03/07 17:01
疲れた果てに死んだふり作戦
新型コロナウイルス感染症騒動が本格化してきたとき、最初にフェイスブックに書き込んだのは「感染拡大を抑えることは無理みたいだから、あとは慣れるしかないんじゃないか」という内容だった。ただ、あの時点では「慣れるしかない」という表現は大反発を招くだろうなと思い、珍しく公開ではなく友人とその友人限定範囲にしておいた。
いつのことだったかなあ……と思って過去の書き込みに戻りながら探したら、あった↑
2月6日 木曜日 2.10am
公開投稿にすると炎上すると思うので、ボソッと言うけど……
新型コロナウイルスって、もはや完全な封じ込めは無理なんじゃないか?
で、致死率は低いらしいので、「慣れる」しかないんじゃないか? 検査キットもないのに、無症状の人を検査するなんて無理なわけだし。
アメリカでは今季のインフルエンザによる死者が1万人くらい出ているというし、そういうのに比べれば、ちゃんと医療体制が整っている地域(例えば日本)で新型コロナウイルスとやらに感染しても、死ぬことはほとんどないのではないか? 中国で死者が3桁出ているのは、医療体制が追いつかず、劣悪な環境に感染者が閉じ込められているからではないのか?
マスクの買い占めとかアルコール消毒薬の買い占めとかで、本来そうしたものが必要な人や場所に行き渡らなくなることによるリスクのほうがはるかに問題なんじゃないか?
ほとんどの人は、ちゃんと栄養とって、よく寝て、ストレスをためずに暮らして、小まめに石鹸で手を洗う、ということでいいでしょ。強毒性インフルエンザで熱を出してこじらせることのほうがはるかに危険でしょ。
ただ、新型コロナが人為的なウイルスばらまきとかで始まっているとしたら、「この次」が怖いな。想像でしかないけど。
あと、こういう時代、現代における「国防」は、やはりF35を買うことじゃないよな。メディア報道の劣化への対処とかのほうが急務ではないかな。
この書き込みの中には、厚労省のサイトにあった次のようなQ&Aも引用されている。
例年のインフルエンザの感染者数は、国内で推定約1000万人いると言われています。
国内の2000年以降の死因別死亡者数では、年間でインフルエンザによる死亡数は214(2001年)~1818(2005年)人です。
また、直接的及び間接的にインフルエンザの流行によって生じた死亡を推計する超過死亡概念というものがあり、この推計によりインフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約25~50万人、日本で約1万人と推計されています。(厚労省「新型インフルエンザに関するQ&A」より)
ひと月ほど前にはこう構えていたのだが、その後、いろんな情報を追っていくうちに、この国の行政システムやら政治家、官僚、学者らの生態がどんどん見えてきてしまい、疲れてしまった。
事態は全然いい方向には向かわず、むしろ自滅する方向に進んでいくばかり。
……というわけで、今はまた一周回って「慣れるしかない」心境だが、ひと月前に比べるとその「慣れるしかない」には、以前よりずっと重たい諦観がべっとりまとわりついている感じだ。
新型インフルエンザのときと比べる
今回のCOVID-19は、SARSやMERSとよく比較されるが、SARSもMERSも日本ではほぼ被害はゼロだった。日本で死者が出るまでの患者が出たのは2009年に世界的に流行した新型インフルエンザのときだったのだが、2009年にそんなことってあったっけ? というのが正直なところで、ほとんど記憶から消えてしまっている。
惚けもここまで来ると怖いなあと思いながら2009年のWEB日記を検索してみたのだが、「インフルエンザ」という単語すら出てこない。
2009年は川内村にベッタリいて、我が家の裏手に大型風力発電施設が建設される計画が持ち上がり、その対応に追われ、心房細動まで引き起こして、茨城の総合病院まで診察を受けに行ったりしていた。そういえば、その病院からの帰りに立ち寄った回転寿司屋に入るとき「新型インフルは大丈夫かしらね」なんて会話を交わしたような記憶がうっすらと……。でも、ほんとにその程度の記憶しかない。
で、Wikiで確認すると、こうある。
当初は感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律第6条第7項の「新型インフルエンザ等感染症」の一つに該当すると見なされ、感染者は強制入院の対象となったが、2009年6月19日に厚生労働省がこの方針を変更し、季節性インフルエンザとほぼ同様の扱いとなっている。また、同年7月24日からは感染者数の全数把握を中止し、クラスターサーベイランスに移行した。
厚生労働省は、重症化や死亡した例などを除いて、新型インフルエンザかどうかを調べるPCR(遺伝子)検査を当分の間行わなくてよいとしたため、現在の国内の正確な感染者数は不明である。
2009年11月9日~11月15日に全国でインフルエンザに新たに感染した患者が推計で164万人、累計の患者数も902万人に上ることが2009年11月20日に国立感染症研究所から発表された。
日本では26人が(疑い含む)新型インフルエンザにより死亡している。
……目にとまった部分だけ抜き出してみたが、これって今のCOVID-19とほとんど同じような経過ではないか?
「PCR検査」「クラスター調査」なんていう言葉は、すでに2009年の新型インフルのときに出ていたのだね。
で、これはもう感染経路を追いかけたり、感染者を片っ端から割り出していてもしょうがないから、ムキになって調べるのはやめましょう、病人をしっかり治療することに専念しましょうとなって、結果、数百万人の患者が出たらしいけれど、それが原因で死んだ人は2桁だった……と。
2009年11月6日、世界保健機関(WHO)は、新型インフルエンザによる日本の入院率・死亡率が主要国で最も低いことを明らかにした。(略)
人口100万人当たりの死亡者でも日本が最も低い0.2人。イギリスは2.2人、アメリカは3.3人、ブラジルは7.0人、オーストラリアは8.6人。最も高いのはアルゼンチンで14.6人だった。日本の新型インフルエンザ死亡率が低いことについて専門家は、日本では医療保険制度が整備されており、少ない家計負担で医療機関を受診できるため、発熱者の医療機関受診率が高いことが要因であると分析している。(Wikiより)
要するに、新型インフルエンザに対して世界は「慣れる」「日常に呑み込む」という解決で手を打ったということなのだろう。
COVID-19によってオリンピック開催が消えるのではないかと騒がれているが、これも最終的には世界中がCOVID-19に「慣れる」かどうかにかかっているのではないかな。
怖いのはウイルスよりも社会システムの崩壊
今回のCOVID-19の流行においても、怖いのはこの病気そのものではなく、感染パニックによって社会が崩壊してしまうことだ。感染が原因で死ぬ人より、社会が壊れてしまうことで死ぬ人のほうがはるかに多いことは、誰でも分かる。死なないまでも、生活は滅茶苦茶になり、人生の質が著しく落ちていく。
すでに多くの人が「死んだふり」作戦とでもいうべき禁欲・謹慎生活に突入している。
様々な現場では、みんなが苦心して対応しようとしているが、総理大臣が場当たり的に連発する「要請」やら「指示」やら「宣言」で、混乱・困難が加速してしまっている。
例えば学校の一斉休校。
ある程度広さのある教室で整然と机を並べているよりも、狭い部屋に多人数押し込められている学童クラブや塾、友達の家などのほうが、密閉空間での濃厚接触という環境になりやすいのではないか、という指摘はすでにあちこちでされている。であれば、学校内で教師たちがしっかり衛生管理、指導していたほうが感染リスクは低いかもしれない。
また、一斉休校の大号令の直後に、政府が召集した「専門家会議」は、「若年層が無自覚のまま感染を広げている可能性がある」と言い出した。
どこでどの程度感染が広がっているのか、不顕性感染者の割合はどのくらいか、その人たちから感染が広がる規模はどうなのか……といったまとまったデータがないので、この「若年層が無自覚のまま感染を広げている可能性」も、あくまでも推論の域を出ない。
しかし、年齢層が下がるほど感染者数も死者数も劇的に少ないというデータはあるし、無症状のままウイルスを保持して他人に移している人の存在も確認されている。
年齢が下がるほど症状が出にくいのなら、10代、20代、30代以上に小学生以下の子供には不顕性感染者がいっぱいいるのかもしれない。
ウイルスを持ったまま元気な子供たちが学校に行かなくなると、親は困ってしまってじいちゃんばあちゃんたちに子守りを頼んだりする。となると、じいちゃんばあちゃんが孫からウイルスをうつされる可能性も増える、ということもありえるのではないか。高齢者の感染は重症化~死につながるから、いちばん避けなければならない。
……もちろんこういうことも、基本データ(地域ごとの本当の感染者数や、年齢別感染数と発病率などなど)がないために、全部「仮定」や「想像」の上でしか考えられない。
なによりもまずいのは、ただでさえ疲弊している社会を、一気にどん底に突き落としてしまうようなミスリードだ。
子供たちの中に不顕性感染者がまだそれほどいないとしても、小学生以下が行き場所を失うと、共働き家庭の負担が増え、医療や介護を始めとするあらゆる現場に負担がかかって疲弊する。
そうなると高齢者をケアするゆとりも失われて、COVID-19に感染しなくても死んでしまう老人が増えるだろう。
ひとり暮らしの老人に弁当を届ける業者とかが機能しないと、その老人は無理して近所のスーパーに買い物に行く。しかしそこにもものがなくて、仕方なく家に戻って我慢してしまうとか……そういう事態はすでにあちこちで出ているはずだ。
休校を要請するにしても、せめて「小学校以下は除く」とかにすればよかったのではないか。小学生以下は電車通学通園は少ないだろうから、満員電車解消にもあまり役に立たないし、中学生以上なら親がいちいち見張っていなくても一人で家でラーメン作って食べていられる。
病気よりはるかに怖いもの
「感染しているかもしれない」と不安になる人が病院に押しかけると医療崩壊するということが言われているが、それ以前に、すでに医療現場や高齢者施設でマスクやアルコール消毒液などが不足してしまっている。マスクの呪縛から人々を解放させることが必要だ。ついにバラエティ番組でさえ↑こんな絵があたりまえになってしまった
メディアは、空になった陳列棚の光景を映し出し、それによってさらに人々は買い占め行動に走る。
時給いくらで生活している人たちやフリーランサーの収入が途絶えると、その人たちが支えている高齢者の命と生活も破綻する。
ウイルスよりも厭世観や絶望感、無気力が蔓延し、社会がどんどん険悪になる。
これを書いている時点で、COVID-19による日本での死者は1桁だが、これに関連した経営破綻や失業などで自殺したり衰弱死した人の数はおそらく1桁どころではないのではないか。
そして最も怖いのは、こうした一種パニック状況の中で、無知無能な指導者が専制的な命令を連発し、庶民の生活と精神が一気に破壊、制限、侵害されていくことだ。
破綻のターニングポイントは突然やってくる。そのときに慌てても遅い。
デタラメな政治を放置していても、世の中はどうせなるようにしかならない……と考える国民の慢心こそが、いちばんの危険要因ではないか。
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