「森喜朗的なもの」を見つめ直す2021/02/12 22:41

#わきまえない女 というハッシュタグがSNSを賑わせた今回の「森喜朗事件」。その後も「後任の乱」だの「おじいちゃんたちの中二病」だの「男が多い会議が長引いて後任がなかなか決まらない」だのと、大喜利状態になっている。
今回はたまたま女性蔑視発言が引き金になったが、実際はそれも含めた「森喜朗的なもの」すべてにNOをつきつけているのだ。
今まで職場や家庭などで、この手の「分かってない上の連中」に辟易しながらも、諦めたり我慢したりしてきた鬱憤が、ここに来て一気に吹き出した、という図だろう。
しかし、忘れてはいけない。これは町内会や村のお祭りレベルの話ではなく、国の命運がかかっている話だということを。

3万円の観覧料で見せられている無効試合

レッドカードもらった選手が勝手に選手交代を告げた。
⇒その選手が笛が鳴る前にボールを蹴り始めて再び試合中断。
⇒最後は1点も入れられないままオウンゴールだけで大敗かと思いきや、無効試合に。
……そういうしょーもないショーを我々は見せられている。
それもただではない。
東京五輪の総費用は昨年発表されたバージョン5で1兆6440億円だそうだ(もっと膨れあがるだろうが)。
で、日本の総世帯数は約5700万世帯。桁数の大きな計算は苦手なのだけれど、割ると1世帯およそ3万円くらいになる。日本国民は3万円という高い観覧料を払って、とんでもないアホ試合、猿芝居を見せられてるのだ。

先日の「東京五輪中止発表前に振り返る"天罰五輪"の不愉快な備忘録」でも書いたが、そもそも、東日本大震災直後に五輪の再誘致をぶち上げるという天をも恐れぬ狂気が今の国難を招いた。
東日本大震災が起きなくても、21世紀に入ってからのオリンピックは、もはや開催国にとって大きなリスク要因となることは分かりきっていた。それを理解できず、かつてのオリンピックのイメージや、麻痺しまくった金銭感覚で飛びつくという思考回路やセンスしか持ち合わせていない人たちが、国や大企業のトップに座り続け、好き放題やれる社会である、という現実。
それを理解できず、この後に及んで「余人を持って代えがたい」「これまでの功績の大きさを考えると……」などと言っているスポーツ評論家やら政治家やらも、「森喜朗的な国難」をガッチリと固めている。
……そういう大問題なのだ。

粛々と後始末ができる人は……

また、これはもう、辞任して当然だの、後任は誰が適任だのという簡単な問題でもない。
東京五輪ができないことはもはやはっきりしている。少なくとも、今までのような形ではできない。

近藤隆夫氏が山口香JOC理事にインタビューした記事を読んで、山口氏の見識の高さに感心させられた。
今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。 それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしい。
山口氏のこの発言はとても貴重だ。
つまり、中止するのかどうか、中止する場合はIOCのほうから言い出すのか東京都が返上するのかで日本国民が負担する金額が違うのではないか、という話。
これ以上無駄金を捨てるのはなんとしてでも避けたいという判断から、無観客でもなんでもいいから開催したことにして、NBCの放映権料だけは確保したいというのがIOCと日本政府、東京都の共通目標なのではないか、という推理。
メディアの報道だけ見ていても、こうした視点はなかなか得られない。だからますます国民は疑心暗鬼になる。

要するに、これから組織委員会の会長になる人というのは、中止にしても無観客開催(国内の感染者増の危険性を伴う)にしても、今まで惚け老人たちが散々食い散らかしてきた残飯処理をしなければならない。どうやったところで「よかったね」とは言われない。非難を浴び続けながらも、なんとか損害を少しでも減らせるようにという強い意志と献身的精神を持ち続けて仕事をしていかなければならない。悟りを開いた宗教者か聖人、しかも超人的な突破力を持ったタフな人物でなければ務まらないではないか。そんな人物がいるのか? いたとしても、今からそれを押しつけるのはあまりにも可哀想だ。
森喜朗とIOCバッハ会長の関係を「毒を持って毒を制す」などと評した「スポーツジャーナリスト」がいたが、森が毒の使い方が分からない人物だからここまでひどいことになってしまったわけで、今から毒を持ってバッハとやりあって日本の「損害額」を減らせるとも思えない。
山口氏はこうも述べている。
こんな状況だからこそ、アスリートたちには考えてもらいたいんです。自分にとって五輪とは何なのか、スポーツとは何なのかを。もともとは好きで自分のためにスポーツをやってきたわけですよね。その頂点を目指すのであれば、世界選手権もあります。では、自分にとって五輪とは何なのか。五輪に出られる出られないではなく、もう少し深い部分まで考えて、答えを持ってほしいと思います。

これは、アスリート以外の我々にもいえることだ。
我々庶民は、オリンピックに何を望んでいたのか、何を求めていたのか。それが無理だと分かった今、東京五輪というお荷物(敢えていう)とどう向き合うべきなのか。

1964年の東京五輪でいちばん感動的だったのは閉会式である。
入場行進が始まった途端に、各国の選手が入り乱れ、踊りながら、抱き合いながら、全員が満面の笑顔で国立競技場になだれ込んできた。
これがオリンピックなんだ、と、誰もが感動した。
あの光景がまた見られるなら、冥土の土産にもなる。私の年代の人間の多くはそう思ったのではないだろうか。
しかし、その国立競技場は取り壊され、あの聖火台も消えてしまった。
代わりに作られた競技場の客席は、人がまばらでも気にならないようにと、椅子がわざとランダムに色づけされている。なんという皮肉!

日本の社会に根強くはびこる森喜朗的な空気と価値観。それがいかに大きな国難であるかを見つめずにここまで来てしまった我々は、3万円の授業料を払って学び取り、やり直すことができるのか? それが問われている。

東京五輪2020とはなんだったのか。
日本は、どこでどう間違えたのか。
その重い問いを最後に突きつけたことが、森喜朗が果たした仕事だったのだろうか。
でも、そういう役割なら、別にあの人じゃなくても「余人」はたくさんいるけれどね。


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