「ビッグバンセオリー」と「五輪ロゴ事件」 ― 2015/09/06 21:28
ビッグバンセオリー
飯を食いながら、いつものように『まれ』と『ビッグバンセオリー』を見る。クオリティの差に悲しくなる。
佐野研二郎事件でも痛感することだが、日本の文化全般がとことん荒廃している。作り手の気概を感じないだけでなく、選ぶ側(プロデューサーや発注者)の精神が荒廃している。
こんなときだからこそ、『ビッグバンセオリー』のクオリティが羨ましい。
今日はシーズン5の最終回だった。

スキンシップが大嫌いなシェルドンが思わずエイミーの手を握っている。びっくりするエイミー
……と満足して、いつものようにChuck Loreeの Vanity Card (最後に一瞬映し出されるコラムのような文章)を一時停止して読むと、珍しく、Chuckが素直な文章を書いている。

馬鹿みたいって思うだろうけど、今夜の放送回最後のシーンを書いているとき、僕は泣きそうになった。
リハーサルのときも、スタジオでやったときも、そして編集室で完成版を見たときにも泣きそうになったんだ。
これってなんなんだろうね。
この登場人物たちが、友達がとてつもない旅に出ていくのを見守るとき、無意識のうちに手を握り合ってしまうという、そのことって、人間としての何か根源的なものを表しているからなんだろう。
こんなことを書いてしまったついでと言ってはなんだけれど、いい機会だから、ビッグバンセオリーを見てくれている視聴者のみなさんに感謝の気持ちを告げたい。
一緒に、思いきり笑って、そしてちょっぴり泣いてくださっていたら嬉しい。隣の誰かと手を握り合って……なら、なお嬉しい。
来年また会いましょう。
まさにこの「人間としての根源的な何か」を大切にする心を、日本のメディア界、芸能界は忘れているのだろう。
アメリカはいろいろな面での病巣も深いけれど、こうした文化面での奥深さ、豊かさ、自由さは本当に羨ましい。
今の日本は、いいものを作ろうという心が失われ、上からOKをもらえる体裁をいかに簡単に繕うかという技術だけで物事が進んでいる。
そのことを恥じないどころか、すり寄る技術を身につけることが「プロの仕事」だと勘違いしている者たちが多い。クリエイターだけでなく、ジャーナリズムやアカデミズムの世界もそうだ。

↑それにしても、この「ご無体な」っていうフレーズ、いつ以来だろう、耳にしたのは。翻訳者のセンスもナイスだね。




