五輪ロゴ問題と「フクシマ」は同根2015/09/06 22:19

錦織は負けるわ、オリンピックロゴは白紙撤回だわ……

全米オープンテニス見ていたら一瞬こんなのが出た。テレビ局も慌てていたらしい

さてさて、のぼみ~日記を「スマホ対応」に直してから最初の新規作成日記だ。

佐野研二郎事件は、ついに五輪ロゴ白紙撤回ということになった。どのテレビ局もトップニュースにしていたが、いちばんの問題点を指摘せず、表面をなぞるだけ。まあ、テレビだからいちいち苛立ってもしょうがないんだけれどね。

佐野氏の仕事ぶりは日本中に知れ渡ってしまった。過去の作品のパクリ暴きはもはやエンターテインメントの様相を呈しているので、次は何が出てくるかと楽しみにしている人は少なくないが、彼個人をバッシングして憂さ晴らししておしまい……ではダメだよね。
問題の根源は、「トップの地位を獲得している人たちが、精神も技術も劣化している」ということだ。名だたるデザイン賞の審査員と受賞者がじゅんぐりに回っていたり、それを広告代理店がしきっていたり、といった構図があり、その中でトップランナーであるべき人たちが堕落してしまった。それが問題。
ある分野で技術研鑽と経験を積んで人より上に立った人は、一般人よりも高い意識で仕事をする義務がある。それと引き替えに、「専門家にお任せしましょう」というルールが可能になるからだ。
原子力関連の仕事に携わる人、それを監督する立場の人たちが、人として最低限の責任感、あるいは合理的な思考を持たなくなった結果が「フクシマ」だ。
電器屋さんがエアコン取り付け工事をしたら建物の筋交いを切ってしまったけれど、見た目には分からないから知らん顔していようとか、魚屋さんが古くなった魚を「ぎりぎりセーフかもしれないからフライにでもして売ってしまえ」という意識で仕事をしてもらっては困るのと同じレベルのことでさえ、原子力ムラの人たちは守らなかった。
利権という共通目的でムラを形成し、本来の目的(社会貢献=人びとの幸福度を上げること)よりも自分たちの利権保守を上位目的にしてしまった。そのことの異常性、犯罪性、恥ずかしさに気づかないほど感覚が麻痺してしまった。

佐野研二郎事件は「フクシマ」問題と同じ根を持っている。
いいデザインとは何かと悩み続け、自分の才能を磨くというアーティストとしての本分を忘れ、手っ取り早くコンペに勝つことを目的の最上位にしてしまった。そのノウハウを身につけることが一流の証だと勘違いしてしまった。
彼らは今でも「自分たちはそのへんの凡人とは違う。選ばれた能力のある人間だ」と信じて疑わない。
だから性懲りもなく、同じ手法を強行しようとする。今まで通りに生きていくためにはどう対処すればいいかしか考えない。

佐野氏のコピペ癖やアイデア丸パクリ遍歴を暴いて個人的に楽しむのはいいが、彼を個人攻撃することで憂さ晴らししておしまい、というのでは、佐野氏や原子力ムラの人間が「そのへんの凡人。自分たちとは違う頭の悪い連中」と馬鹿にしているグループに自ら進んで所属していることになる。
そういう生き方が、特権階級の人たちの堕落を許し、生きながらえさせているという意味では、いちばんやっかいかもしれない。




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